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ジャクソン・ポロックと漆芸品との共通点

アクションペインティングで有名なジャクソン・ポロックの作品と日本の漆の古いものの中に非常に似た感覚があるものがある。津軽塗や若狭塗、会津塗の一部は感覚が近いように思うし、特に似ているなあと感じるのは漆職人が使っていた台や道具箱、むろで使った板などは作品と並べても違和感がないような気がする。

ジャクソン・ポロック比較的短時間、勢いで描きあげるポロックはある意味スピードを出すことによって無心の状態を作りだし、一方日本の漆職人の道具は漆が垂れ、掃除をしてまた垂れと長い年月をかけて幾重にも漆が垂れることによって生み出される。製品を作っている傍らで製品と考えていないものがポロックのような魅力が出てしまうのはなんとも皮肉なことだが、その作為のない作風は意識してしまったら決してできない。茶人が好んだ根来だってある意味ポロック的な感覚が観る上では必要だ。根来も長い年月をかけて出来る表情が魅力的なものだ。

そう考えるとポロックは作品を製作する際に滅茶苦茶意識しつつも、意識していないという芸当をしているのかと改めてその魅力を感じたりもする。長い時間をかけてしか出来ないことを短時間でしてしまう(短時間でしかできない?)、時間を超越したアーティストなのだろう。

短時間と長時間、ファーストとスローは実は人間の感じている感覚であって地球の創造や宇宙の創造からしたらそんな大差のある期間ではないけども、自然の流れと調和すれば実は人間の感じている時間は、長くもなるし、短くもなるのではないだろうか?その調和のタイミングを知っているからこそポロックは作品を描けたのかもしれない。

漆芸品過去・現在・未来は実は時間的な差はなく、同一線上に存在するものではないのだろうか。古いものから未来を感じたり、新しいものから過去を感じたり、意識の中では時間的な尺度はある意味存在はしないことになる・・・・。などと・・・全くと違う分野のものを比較し、それから自分や人としての共通点を探すのは楽しい。そんな風にものを観ていくと時代、流行、国籍などは関係なくなる。

 

2012/04/26

vol.83 SPAIKE LEE(スパイク リー)  ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.85 大宝寺焼