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かたちの理由

 

金銅六器|奈良国立博物館
金銅六器|奈良国立博物館

 

ただ単に使いやすいとか、かっこいいとのか以外にモノの形には大抵理由がある。もちろん、デザイナーやクリエーターは細部に至るまで考え抜いたものであるから少なからず理由があるわけで、使っていてふと気がつく時があって「こんなことまで考えていたのか!」と感動したりする。そう実感できるものは名品で、今のようにモノが溢れかえっている時代ではそういうものしか身の廻りに残っていかないのかもしれない。ある意味ものの対比が容易なので、モノが少なかった時代より真価を見出しやすいのかもしれない。

布薩形水瓶|奈良国立博物館
布薩形水瓶|奈良国立博物館

古くからあるものに関してはアノニマス的なものが多いのは当然で、それ以外に宗教的な要因も非常に多く見受けられる。先日、塗師の赤木さんがおっしゃっていたことは、陶磁器も器も、もとの形は青銅器を写して作られたものがおおく、お椀などのは縁廻りに小さな縁があったりするわけでこれは、金属の加工の上で必要だった形でそれが漆のお椀には今尚残っていたりする。青銅器はもともと祭器であったわけで、宗教的な要素も強く、食べるといった行為が昔は神事的な要素が強かったと考えても良い。また、食べることで言えば(こちらも先日聞いた話)、婚礼などハレの日など特別な時に使う箸も両端が細くなっている。これは神と共に食事するという意味があり、素材も神が宿るとした柳の木が使用されている。こればかりではなく、今の生活にも色々な意味が形に残っており、その多くは宗教的な要素が高かかったりするのである。両端が細い箸なんかは、神も仏も関係なく日本人には自然に残っている行為なわけで、神仏習合が強く感じるもののひとつ。

モノを選ぶ側も直感で選んでいるつもりでも、自己を見つめれば何かしら理由があるはずで、育った環境などの影響は計り知れないし、なにかDNAに記憶が刻み込まれているかと思うことも多々あるわけで、「惹かれる形」言い換えれば「惹かれるもの」さらに絞り込むと「惹かれる古いもの」をみて分析していくと自分を見直す行為のような気がするのである。というわけで、古いものを買って自分を見直そう!!

 

2013/05/02

vol.135 農民芸術概論 ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.137 神奈備