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日本の知られざるプリミティブ・アート

アイヌ 「プリミティブ・アート」って良く耳にするが日本ではあまり馴染みがないのが現実。西洋的、キリスト教的目線で捉えている事柄なので日本文化の中ではイマイチしっくりこないのであろう。欧米文化が溢れてはいるが、根底にある日本人、東洋人的思想がプリミティブという定義を少々拒絶気味なのが理由かもしれない。キリスト教が先進的であるという立場から霊的存在の信仰が原始的であるという考え方がはじまりであるアミニズムがあり、それらの信仰が根底にある民族(人々)が作り出したものを「プリミティブ・アート」と呼んだのがはじまりだから日本人にはピンと来ないはしょうがないのであろう。神道や古くからの民間信仰では、欧米から見たら原始的な霊的存在の信仰が日本には溢れかえっているし、今も昔も生活に密着している(欧米以外の国ではごく普通のことかも)。

欧州ではアフリカの部族やオセアニアの部族のものが評価も高く(素直にすばらしいものがたくさんある)、1900年初頭のキュビズムのアーティストに多大な影響を与えたのはご存知の通り。僕が個人的に最初にそれらに興味を持ったのが遠いようだがハウスミュージックからかもしれない。トライバルとかトライバーとかハウスでは野外で部族のように集まって踊るというスタイルがあった(今もあるのだろうか?)こと。それからカナダに住んでいた頃、ネイティブアメリカンの居留地が近くにあり、彼らの世界観、思想がおなじモンゴロイドとして非常に共鳴できることが数多くあったこと。最初は精神的なものよりも彼ら特有の図柄などに惹かれた。抽象化された動物達の図は印象的であった。ストリートカルチャーにもそれらは既に大きな影響を与えていたので当時のタトゥーやグラフィックにもあらわれていたのを思い出す。それから何年か経ち、古いものを扱うようになってから日本で同じようなものを見つけたときは驚きと言うよりものすごく新鮮気分になれた。それは「アイヌ」のものである。

アイヌ儀式などで使用されていた本当の古いものはごく限られて手に入れることは僕にとって困難ではあるが、明治~現代の工芸品を何度か手にしたとき、ネイティブアメリカンと非常に感覚が似ていて驚き、日本人でありながら自分の国のことについて無知なことに痛感した。当時は熊の置物ぐらいしかイメージしてなかったので衝撃的、僕が手に入れたもので最も印象に残っているものは刳り貫きの容器で蓋に刺繍された布が施されたもの。今思うと手放さず手元に残すべきであったと後悔している。あの感覚、造形は日本ではアイヌ特有のもので、近いものと言えば遠く離れたネイティブアメリカンやイヌイットのものかもしれない。それから彼らの本や資料を見て色々と知り、この文化は世界にもっと知られていてもおかしくないと感じた。もちろん、アイヌ工芸や文化はコアな人達の間では非常に評価されているけど、ストリートカルチャーをはじめ現代の生活にまで影響を与えているかといえばそうではない。日本でありながらもアイヌよりも海外の部族の方が一般的だろう。日本のプリミティブ・アートの代表格であることは間違いないはずなのに・・。アイヌ文化や工芸が今までもっと大きく世界に注目されていないのが不思議なくらいだ。

ここ数年、自然と共に生きていた民族、人に深い興味を感じるのは、あまりに複雑化した社会に生活をしているからだろう。文明的、文化的だとかはあくまでのその世界に住んでいるもの勝手な尺度で言われていること。それらが原始的なのか、先進的なのかは今の僕にはわからないが、シンプルに生きることに強い憧れを感じるからこそ、「プリミティブ・アート」に惹かれるのだろう。

 

2011/01/27

vol.18 マルセル・デュシャン的骨董思考 ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.20 モースのコレクション