浄法寺

木製漆塗 浄法寺

漆絵鶴丸文椀〈うるしえつるまるもんわん〉 木製漆塗 浄法寺 江戸時代〔日本〕 18世紀
日本民藝館所蔵

漆のものは、古いものを扱う前はほとんどといっていいほど興味がなかった。仕入れの為、頻繁に業者市場に行っていて、素朴で控えめな碗や片口などを見てなんとなく気になり興味を持つようになったのが最初である。漆のものといえば、蒔絵や螺鈿の華やかなものといったイメージしかなかったのでほとんどノーマーク、その頃は今の生活にも使い易いあっさりとした軽めの道具や陶磁器を探していたけど、黒と赤で所々擦れて、稚拙な絵がササッと描かれている碗を観たときはちょっとした衝撃だった。ちょっと気になるから買ってみようと軽い気持ちで碗が競られるのをまっていた。

埃まみれで、傷だらけ、実用にも使えそうにない碗は競りにかけられ、いざ声を出して買おうとするとあっという間に値が上がり当時の僕には予想しえない値段になってしまった。それから、あの碗の正体を知ろうと色々調べてみると浄法寺のものと突き止め、岩手県の塗物であることが判明した。僕の故郷でも会津塗があるけれどもあの碗の佇まいとはは明らかに何かが違っていた。

起源は、東北最古の寺と伝えられている天台寺の僧が自分の為に作ったのが最初といわれており、その天台寺の創設も謎に包まれ一説によれば以前ここにも紹介した行基によって開山したとも呼ばれている(今、住んでいる場所と何となくつながりが見え不思議な縁を感じる)。室町時代には漆器の産地として地位を確立し、その頃から江戸前期までの素朴で自由な作風の絵が骨董、古美術界では評価が高い。「秀衡椀」もルーツは同じと考えられていますが浄法寺とは別物と考えられて、文献などは残ってなく詳細は謎に包まれている。産地として確立した要因には、上質の漆の産地であったことが大きい。江戸時代の記録によれば加賀藩に漆を流通させていたとか。また、上質の漆を取り出し、その残った材料で無駄を出さず蝋燭も作っていた。場所は違うけど、同じ東北の会津も漆器と絵蝋燭が伝統的な産業だったことも頷ける。そんな、自然豊かな東北の風土が魅力的な自由奔放な漆絵、嫌味のない素朴な漆器達を作りだしていたのだろう。

僕が初めてみた浄法寺の碗は、現代にはない人々の純粋さ、素朴さがその碗に写されていたのだろうと感じている。ある意味僕にとっては、モダニズムにおけるアフリカのプリミティブアートと同じような感覚かもしれないと自分なりに考えている。

 

2011/10/27

vol.57 アイデンティティ  ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.59 古美術の狭間に