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農民芸術概論

宮沢賢治宮沢賢治の「農民芸術論」は彼の思想、宗教観が色濃く表れている。生前に刊行されたわけでもなく、草案をまとめられたものとも言われているが非常に濃密なメッセージが詰まっている。都会から離れた遠い東北の地、自分の故郷で理想郷を求めた賢治は未来にいったい何を訴えかけていたのだろう?

農民の芸術について論じているわけだが、実に独自の宗教観強くが表れ、芸術を介し、科学、宗教のあり方に問題提起しており、その内容は100年近くたっていながらも色褪せていない。この僕はといえば、賢治に傾倒しているわけでもないので色々と意見する立場ではないけれど、共感する部分は多い。

賢治の思想、哲学は法華経に強く影響されている部分はあるが、ワールドワイドな宗教観と言えばいいのか、廃仏毀釈から数十年経ち、国家神道、科学の進歩、西洋的宗教観がどんどん日本人に浸透していく中、超保守的な東北の片田舎では超がつくほど異色だったに違いない。発信するには並外れたパワーと精神力が必要だったはず、日本、特に東北は今こそ、地域ごとに彼の思想、哲学を解釈し復興に役立てることが必要なのではないだろうか?日本は近代化の過程で「宗教」が薄れ「科学」を信仰してきたような側面がある。経済活動が活発ではなかった時代は、「宗教」と「芸術」が結びついて豊かな精神性を形成していたのはず、賢治が言うように生きていくこと自体が芸術と考えれば今のように「芸術」は遠い存在ではなかったのではないだろうか。一方、「科学」は「芸術」とは結びつかず、便利な生活を与える対価として「お金」と結びついたのである。いつの間にか、日本のみならず世界の信仰心が「宗教」から「お金」にすり替わっていったのかもしれない。

日本では芸術と宗教はうまく結びつけていないところがある。骨董、古美術もそうであって、宗教性のめちゃくちゃ強いものでありながら、売る側や取り上げる側はその宗教性をなるべく目立たず紹介する傾向が強く、何だか強い違和感を感じたりするし、実生活でも日本人のほとんどは特定の信仰を持っていることでさえ何か隠しながら暮らしているようで不思議だ。特に古美術を含める芸術を親しむ際は、宗教観、信仰された環境などは当時の製作者サイドの立場を考える上で切っても切り離せないものだ。直感で観ることでさえ、自己分析していけばどこかでそういう部分と結びつくわけで経済性と強い関連性を持っているからそのような結果に陥ってしまうのではないだろうか。賢治の考える芸術は、科学、経済、信仰、労働をうまく結びつけるもので、日本のこれからを考える上でのひとつの重要な思想なのではないだろうか。

 

2013/04/25

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