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古美術の狭間に

古美術の狭間に古いものを扱っているとその眼はより古いものへと興味が沸いてくる傾向があるようだ。

勿論、僕自身も例外ではなく時代にこだわってしまい本質を見逃してしまうこともしばしばある。理想は気に入ったものを仕入れ、結果古いものだったというのが良いのではと思っているがそうは簡単にはうまくいかない。無意識の中から沸き起こる嗜好から・・とは思うが、年齢を重ねるにつれ、経験や知識で純粋な部分が覆いかぶされてしまうことの方が多い。

とは言え、純粋なものって何だろうとも疑問に思うこともある。確かに子供の表現力や純粋無垢なものはすばらしい。しかし、成長していく過程で誰しもが知識を身につけ外部からの情報を蓄積していく事で人格が形成され個性が生まれ自分にとって是か非かを判断できるようになっていくのが人間にとっての大事な部分だ。

知識は時として自分の眼を曇らせてしまう事もあれば、クリアーにさせてくれる事もある。とても矛盾を感じるがこの矛盾とどう折り合いをつけるかが重要なかもしれない。以前から比べると僕も古美術的要素の強いものと接する機会が多くなってきた。それが良いのか、悪いのか僕にははっきりわからないが、そういうものの方が古いものなのに新しい発見が多い。イメージや言葉だけで物事を判断するのは自分にとっての損得や恐さから生まれるもののような気がするし、僕の場合ほとんどが自己防御するためにそういう働きが内面に起こっているのだろう・・・。

感覚だけも恐いものがるし、知識だけでも面白みのないものになってしまう。
単純に考えたら深みがないし、複雑に考えたら理解も得られない。
新しいって古いこと?古いことって新しいこと?
美しいことって汚いこと?汚いことってうつくしいこと?

などと古美術の狭間で考えている今日この頃。

 

2011/11/3

vol.58 浄法寺  ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.60 弔い