怖さ

僕のように祈りの対象であったものを扱っていると「もの」によっては見る人によって良くない印象を持つ方も少なからずいる。人の思いや願いを感じるものもなかにはあるのかもしれないが、大抵、見た目の印象で怖いと判断する人がほとんどのような気がする。確かに現代の感覚では不気味に感じるものも多いだろうが、果たして見た目だけで判断していいのだろうか?怖い印象をわざと表現しているものもあるのでヴィジュアルだけで判断するのは人を見た目で判断することと同じと思っているのでなるべくそういった気持ちを持たずに「もの」を見るようにしている。

怖さ

日本人の感覚で見たら
不気味なものかもしれない・・・。
Congolese Nkisi Nkondi, a female power figure,
with nails, collection BNK, Royal Tribal Art

民間信仰のものには不気味なものが多い、魔除けの意味合いも強いかもしれないし、伝承や教育という側面から考えれば、竈面なんかは火の怖さ、注意して取り扱えという教えをこめている場合もあるにちがいない。暗闇に、ほのかな囲炉裏の光に浮き上がった面は子供にとったら怖いものだったであろう。そういった想像力、ものの背景を読み解くことができれば、既成概念によって形成された自分の感覚の狭い容量を感じたりものするので、「もの」の見方が多少変わってくると思っている。原始的なものにいくほどシャーマニズムなものが多いのでそういった、現代の感覚の、怖い、不気味といった境界線がよくわからないものが多くなるのだろう。原始宗教と呼ばれるもの多くは自然環境に今よりも左右されていたからこそ、いつも記憶の片隅に残像として残るような印象を信仰の形に表現したのではないだろうか。

現代のものには、そういった不気味、怖さを感じるものが非常に少ない。消費社会ゆえ、印象に残るものよりあっさりとしたものが好まれるのであろう。もしかしたら、教育、企業の宣伝によって、そういった感覚が鈍感になっているのかもしれない(恐怖に訴える論証)。それ故、信仰の古いものに対しても外見だけで判断してしまいがちだ。安易にネガティブなスピリチュアルな部分に結びつけるのは、既成概念への懐疑心と消費社会に生きる現代人の思考、想像力のバランス感覚が欠如している結果なのかもしれない。

*本当に怖いもの、それを見分ける能力をもった方はきっと多く存在するとは思いますが・・・。

 

2013/06/06

vol.140 唯物主義 ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.142 ケミカルウォッシュと根来