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民芸の呪縛

柳宗悦民藝という言葉が生んだ柳宗悦が没して昨年は50年だったが、その代わりになる言葉は目まぐるしく変る時代だったのにも関わらず、まだ生まれていない。柳宗悦の唱えた民藝以来、新たな「もの」に対しての思想が生まれていないと考えても良いかもしれない。その間、我々の暮らしは、住環境はもちろん、衣食住、すべてに関して大きく様変わりしたのに「民藝」という言葉は何も変わらず今尚頻繁に使われている。まるで柳宗悦の亡霊の呪縛に取りつかれたのか如く感じる。暮らしに寄り添った誰もが共感できる思想が、アカデミックなものに変貌し、思想よりも先に宗悦の選んだものに興味の対象がすり替わっていく・・。

普段の生活はといえば、家の中を回りを見渡せば大量生産のものにばかり、経済性と利便性を求めるあまりに民衆の為の工芸はどこかに追いやられてしまったようだ。ここ数十年の日本の社会は柳宗悦の思い浮かべた未来とは違う方向に進んだことが大きな原因の一つではないだろうか。それを軌道修正すべく「民藝」という言葉が使われてきたと考えるならばそれはそれで意味を持つことなのだろう。

民衆の工芸とはいったい何なのか?現代に生きる僕らが今一度問えば、「民藝」に代わる新しい言葉が生まれるのも、そう遠い未来ではないかもしれない。

 

2012/03/29

vol.79 Banksy (バンクシー)  ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.81 骨董の価値