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インサイダーとアウトサイダー

インサイダーとアウトサイダー ここ十数年の古美術や骨董の流れは大きく変わってきていると感じます。

新しい感覚というのは適切ではないような気がしますが(注目されなかっただけで以前からあったと思う)、美術の歴史や伝統の価値基準にマッチしない自由な感覚なものが素直に受け入れることが出来る人が多くなってきたからではないでしょうか?それに応えるべく、独自の視点でものを選んでいる業者も多くなっています。

骨董とはちょっと違うかもしれませんがアートの世界の「ART BRUT(生の芸術)」に似ているような気がします。ジャン・デェビュッフェがコレクションした知識や教育を受けていない、触れていない純粋な美術のことを「ART BURT]と言ったのがはじまりだそうで、「アウトサイダー・アート」とも言います。古いものの見方もそういった感じの方向に少しずつ向かっているような気がします(決してメジャーではありませんが・・)。

僕自身、骨董業界で経験ゼロから始めたので、どちらかといえばアウトサイダーよりですが、一方で、伝統的なものや、公に評価されているのもにも非常に大きな魅力を感じたりします(もちろん全く興味が起こらないものありますが・・・)。評価されているにもかかわらずアウトサイダーっぽいのも数多くありますし、作り手に直接会ったわけでもないのでその境界線が正直どこにあるかって微妙で良くわかりませんが、アートや古美術、骨董に限らず、その境界線って、「紙一重」のように思えます。公が認めたら「アウトサイダーアート」も、れっきとした「芸術」になることですし・・・。「ART BURT」が注目され始めた頃は、まだまだ権威指向が強かったので、今のような発想の自由さがある程度認められている時代になると「インサイダー」か「アウトサイダー」かどうか、はっきりとした境界線がますますわかりません。結局、個人がニュートラルに素直に感じることが大切なような気がします。その境界線は曖昧なままで、観た人がどのように感じるかが大事なのではないでしょうか。「陰」と「陽」、「正」と「負」、「生」と「死」など相反することがあるからこそ色々感じることができるのかもしれません。どちらに偏ることもなくバランスよく自由に感じて生きたいです。枠にはまらず色々なものを選んで紹介していければいいなあっと思っています。

 

2010.09.25

vol.1 古いものの魅力? ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.3 古瓦の魅力