仏教美術といっても、視点によって感じ方は全く異なる。自分が抱いた最初の印象を読み解いていくと、特定の信仰を持っていなくとも、育った環境(家族の信仰)によって大きく左右される部分があると思う。僕の家は、仏壇はなく、葬儀などは神葬祭で行われており、神道の家で育った。父から聞いた話によるともともと出は神社で国学者もいたとか・・。学生の頃は仏教、神道の違いもさほど興味もなかったので軽く聞き流していたが、この商売を始めて興味を持つポイントの理由が育った環境に大きく左右しているなあと今は実感している。特定の信仰を持っていなかったとしても、そういう環境が宗教観を形成するにあたり大きな影響を与えているのだろう。最近、原始神道に興味を感じるのもそういったことからだろうと自覚している。その為、仏教美術の見方もどうしてもそちらからの視点で見ている為、日本人特有の感覚のものに無意識に興味がいってしまうのである。自分のルーツに関わっているか否かがきっとその興味のベクトルを決めているのかもしれない。
山越阿弥陀図もその中のひとつで、、阿弥陀と山の図は山岳信仰、神奈備との融合で日本人らしい宗教観が表現されている図なのではないだろうかと感じる。大陸からやってきた洗練された仏教と縄文神道が融合され、欧州的なものの考えで言えばアミニズムを感じる仏教絵画である。魂が無事、極楽浄土、先祖の待つ山の向こうへ行くことを願っているのだ。明確な線を引かず、新しいもの、もともとあったものが上手に共存しているのは、現代の日本人が忘れかけていることのひとつだと感じている。特に現代人は、自然へのリスペクト、共存はその重要性を感じながらも、利便性を追求するあまり、問題を後回しにしているのではないだろうか?日本人は科学と経済の発展と引き換えに大事なものを忘れてしまったのかもしれない。
2013/07/25