壁への思い(西洋への憧れ)

壁への思い(西洋への憧れ)前回の続編です。今回は古い日本の西洋風の壁について思うことです。

明治以降様々な西洋文化が日本に入り様々なものが日本の文化と交じり合いました。建築も同じで西洋風のものが街に溢れ出します。壁も仕上げが変わってきます。現在の建築の基準では建てることが困難ですが石造風、レンガ造の建物が増えることによって重厚な建物が出現しました。日本の木造とは違い、壁自体が構造ですので見た目に印象は変り、欧米のように壁が全面に出てくる印象のものが増えたのではないでしょうか?南米やアジアやアフリカなどに見られるコロニアル文化の日本版のはじまりかもしれません(植民地になったわけではありませんが)。ヨーロッパのように石を使う建築になれていない日本の職人は石風の仕上げを当時の建築に多く残しています。今のように簡単に外国の素材を手に入れることができないので様々な工夫があるので面白い。商店などの外装の看板建築などは職人の創意工夫が感じられ、まだまだ数多くのものが残っているので身近にみることができます。「洗い出し(砂利を入れて塗り、最後に表面を洗う技法)」や「こたたき(仕上げた跡、表面を叩いて凹凸をつける左官職人と石工職人のコラボ)」、「研ぎ出し(地元の石などを入れ研ぎ石で表面を滑らかにする)」など素材を生かし、尚且つ強固で、職人の技を競い合ったようなすばらしいものがあります。今のように、期間の制約や予算を優先ではなく、職人の創作意欲、それを信じる施主の良いものをつくろうとする心意気があったからこそ出来上がったものだと思います。このような西洋風建築が比較的容易に広まったのは蔵(土蔵)の技術がベースにあったからではないでしょうか?土蔵には日本の壁職人(左官屋)の技術が結集されています。土の壁を幾重にも塗り、最後に漆喰に磨きをかける。塗るのではなく磨くのです。つるつるになるまで・・。これで仕上げればメンテナンス次第で1000年近く持つ壁ができちゃったりまします(寺院や城で実証済み)。また海鼠壁や鏝絵の技法はモールディングに応用しました。大正期の建築に多く見られる内装には「型引き」と呼ばれるモールディングが多くみられます。西洋の建物を見たことがない職人達が作った西洋風建築には日本独自の技術や美意識が結集されているように感じます。僕が職人を目指した頃でさえ、このような仕事はほぼ皆無でしたので、ほぼなくなってしまった文化といっても過言ではないでしょう。残念ながら、現在は、良い仕事をしてもみんなが食べていける時代はありません。しかし、団塊の世代からその子供の世代に消費の中心が変わってきている昨今、好みや求めるものが今までとは変化しているように感じます。自分達が本当に求めているものを明確に意思表示できる世代です。このような街の文化こそ、精神の豊かさを感じるものだと僕は思っています。経済の豊かさではなく、もっと違う豊かさにシフトしていくのが、その(僕も含め)世代の役割ではないでしょうか?汚れたら剥がして捨てて、張りなおす使い捨ても便利で悪くはないとは思いますが、後世に残すことができるような壁も選択肢にあって良いのではないでしょうか。インテリアからの視点で観ても現代の諸外国と日本の空間における決定的な違いの1つに壁の素材が挙げられると思います。雑誌の写真をみてもその奥深さの違いは明らかです(好みにもよりますが)。高温多湿の気候の違いはあるけれど、日本のサイディングやクロスの多さは異常です。古いものがすべて良いわけではないですが、新しいものもすべて良いとも限りません。メディアや他人の意見に惑わされず、自分が良いと思えるものを見抜くことが大切な時代になってきていると思います。それを養う為にも、今まで残されてきたものや異文化、新しい技術など自分になりに解釈していく、選択していく作業は今まで以上に自分達のライフスタイルをより豊かにするために必要になっていくことと僕は思っています。

 

2010.12.30

vol.14 壁への思い(日本編) ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.16 カルロ・スカルパ