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壁への思い(日本編)

壁への思い(日本編)」  古い壁には興味があります。というか好きです。

一般住宅から伝統的な日本家屋、社寺、教会、海外の重厚な建物、有名建築家の作品などジャンルは問わず建築物は興味の対象ですが、1番最初にチェックするのは壁。今回は日本の壁について思うことを綴ってみます。

伝統的な日本の家屋、それを継承している近代の木造家屋もそうですが日本の家、空間は壁がメインというか、見せ場になっているものは残念ながら多くはありません。古くからの日本の家の利用法、工法を考えてみると当然のことです。唯一壁が主役なのは「床の間」ぐらいでしょうか?純粋にモノを飾ったり、書を掛けたりと日本の空間の中では特殊な場所。しかし、時代の流れ、生活スタイルの欧米化が進み現代の住宅、空間で「床の間」をつくるのは稀になってしまいました。悲しいことですがいつの時代でも衰退していくものはあるのが現実です。中途半端な和風住宅(和風の「風」ってなに?)の床の間は場違いな雰囲気でよろしくないですが、茶室や本格的な日本の木造建築や戦前の家屋などをみるとシビレます。藁やすさが無造作に表れたり、美しい自然な砂や土の色であったり、経年によって色が変化してたりします。鉄分を多く含む壁は、長年、水分を吸排出することで土の鉄分が赤や黒く変色してたりします。茶人の計算ともいわれているので、彼らの美意識の高さに恐ろしさをかんじるほど・・。藁やスサも決して今のように表面的な仕上げのデザイン的要素のものではなく、ワレ防止や強度を考慮した骨材ですのであくまでも機能性重視のもの。デザインと機能性がうまく噛み合っているのですばらしい。また、床柱の素材や壁の仕上げの組み合わせで家主や職人達のセンスも伺えるのでおもしろい(現在の素材をみても企業名しかでません・・・)。床の間は特別なものですが、それ以外の壁も全体を構成する上で構造的な問題が最優先と踏まえた上で、壁の位置、素材、出隅、入隅といった細かな部分の仕上げで、空間はかなり変わるように思う。また、戦後以降になってできた壁は乾式(石膏ボード)の工法を用いているので重量感が異なるように感じます。たとえるならば幾重にも色々な絵具を重ねた油絵(戦前のもの)とただ単色をベタ塗りした絵(戦後のもの)の違いぐらい質感が違います(好みの問題ですが・・)。 この差は時間が経過するほど目に見えてはっきりと現れてくる。

経済優先、利便性、耐震性、国の基準、日本人の求める環境の変化によって日本の伝統的な壁は今や空前の灯火です。現在の一般的な価値観、企業の倫理が続く限り消えていくでしょう。数十年後は資料館や博物館でしか触れ合うことしかできないでは(今もそうかも・・・)。僕はただ単に懐古主義的に思っているのではなく、自分なりに良いと判断しているものが失われつつあることに寂しさを感じます。高度成長期以降の社会は利便性と経済性が優先され、空間を作り出す素材も工場で製品化され、作業もとことんまで効率化、規格や法律に準じて適合しなくてはいけなく、家も家電もシステム化され、それにそぐわないものは省エネ住宅ではないとかエコではないとか、エコポイントももらえない。どこか釈然としない。それらにそった製品があらゆるメディアに毎日のように人の目に触れ、それが、さもすばらしいものかのように人の意識に中に残っていく・・。消費者も伝統的な壁になんとなく興味は持つが選択はしない。どちらがエコ?どちらが人に優しい?どちらが安いの?どちらが気持ちいい?どちらが暮らしやすい?どちらが未来にとって正しいの?エコポイントが継続され本当にエコ住宅ができるの?日本にとってエコって経済の活性化なの?エコって何?誰か真実を教えて!と強く思いつつも自分の住まい(賃貸)もイマドキのものなのです・・・。

 

2010.12.23

vol.13 奈良原一高 ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.15 壁への思い(西洋への憧れ)