素直に受け取る

素直に受け取る何かを表現する時、素直に受け取って体現することは、簡単なようで簡単じゃない。

まず、自分の中で素直にならなければいけないのだがこれが一苦労である。往々にして人に良くみられたい、少し背伸びしてみたい欲望にかられ、誰かの真似のような、自分で無いような観ていて奇妙でしっくりとこないものが大抵出来上がる。まあ、骨董屋もこれに当てはまることが多く、自分自身を考えてみても恥ずかしいなあ、みる人がみたらお見通しだったなと後悔するような展示や商品構成ばかりだったとしばしば思うわけで・・・(アウトサイダーアートに惹かれるのはおそらく、この辺が強く影響しているのだろう)。

まあ、昔から誰かがおもしろいことをして人にウケれば、多くの人が右ならえ的なことはたくさんあったし、経済優先の社会になってからは全ての流れ、トレンドが一方に集中するようになってきているのだろう。

今のように簡単に情報が集められるとその表現は編集能力が問われてしまう。多くのものから、これぞと思うものをピックアップしてどう構成していく作業が重要で、こう考えると骨董屋のやっていることはまさしく、選ぶ作業なので現代的な表現方法をしている職種だいえるかもしれない。どう選ぶかで何かを表現できる、伝えることができるということなのだろう。そういったことを考えていると骨董の概念とか、意味とかを自分なりに見出そうとするとやはり本筋が重要になってくる。確かにひねったものも面白いけど、結局のところ素直に受け取っていくと古くから評価されているものはすばらしいと思う(もちろん全てではないけれど・・・)。古いものを扱っているので、素直に考えたら、やはり骨董商、古美術商と胸を張って言える知識と経験を積みたいものだ。

ここ最近はひねったものを多く見かけるので、ひねくれ者の僕は素直なものを目指すのであった・・・・
(結局素直に受け取っていない)。

 

2012/10/25

vol.109 ボーンズ・ブリーゲード ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.111 奈良に住む。