垂迹美術

 

春日鹿曼荼羅

春日鹿曼荼羅 14世紀
奈良国立博物館蔵

仏教美術の中でも垂迹美術は非常に興味深い分野である。この表現は、各々の宗教観、ナショナリズムによって微妙に受け取り方が異なるとは思う(神が仏か、仏が神か・・・)。おそらく廃仏毀釈以前は、神も仏も区別なく幅広く信仰の対象になっていたので明確な境界線も言葉の違いも今ほど違和感は感じなかったことだろう。神も仏も区別なく信仰の対象に1300年もの間共存していたのである。

奈良時代に成立された神道は平安時代を通じても信仰されたが、12世紀にその内容に大きな変化が生じた。それが垂迹信仰である。仏を本地とした場合、日本の神を仏の教えを伝えるための方便身と見立てるという考えが導き出された。仏と神が大日如来にに統一されると考えられるようになりこれが垂迹思想と呼ばれるものとなった。末法の世に浄土の主となりことによって、仏教の僕として仕えていた日本の神が仏と同格のものとして存在することができたのである。そうすることによって日本の宗教において正統な地位を得ることができたと考えられ仏教に圧されいた神々の復権をもたらした思想といえる。

当時、流行の浄土教は人々に浄土希求の念を植え付けたが、強い現世欲望を打ち消すことに至らず、遠い世界の仏よりも今ここにある日本の神を祈ることで満たされ、日本の神を浄土の仏とし、神社を浄土そのものと見るようになったのである。垂迹曼荼羅はこうした浄土、神社を描いた礼拝対象でリアルに描写することによって、観る人に神社を浄土そのものであると実感させる写実性を持っている。このリアルな描写は美術としても高く評価されており、絵画においても、日本の仏像特有のリアリズムを表現するに至る何かを感じさせらるのである。また形式が定まっていないない点でも地域によっての解釈の違いや個性が強く現れており他の宗教美術と異なる面白さがあるように思えてならない。

 

2013/02/21

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