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山岳信仰

稲作が伝わって以来、古代よりもっとも生活で大事であったものは農耕であったのは間違いない。現代の日本でさえ、この国を支えるのは第一次産業ではないかと考えている。当然、農耕をする人の信仰はそこに向けられたはずだと思う。豊作か凶作かはもっとも大事なことで、人々は秋の収穫が終わると神に豊穣を感謝し神託によって次の年の豊凶を知ろうとした。今の時代に生きている僕らよりも神に感謝し、多くの恵を与えてくれる自然にリスペクトしていたいに違いないだろう。つい最近まで、集落や村で起こった様々な問題を神託に聞いて言うなれば政治的な判断の材料にしていたことは興味深いことだ。祭政一致の思想は僕らが思っているほど遠くない昔で当たり前に行なわれていた。

山岳信仰
僕の故郷にある信夫山。信仰の対象と言うよりは憩いの場として親しまれている。

人々にとって山は神々の集まる場所、人の霊、祖霊の集まる場所と考えられていたのだと思う。神や霊は山からやって来る、いのししや鹿、鳥達も、農耕にとって大事な水も山からやってくることを考えれば山自体が信仰の対象になるのは自然な流れだと考えている。今、都会で住んでいる人たちでだって自分の故郷を想像するとき山を思い浮かべる人だって多いはず、朝夕に美しく見える山に神聖なものを感じることは今の僕らだって変らず感じることのできることだろう。

山から神や祖霊がやって来たとき、または着て頂いた時の一時的な滞在先と考えられていたのが、祠などの依代だったのだろう。 当時の人々は、山や木々、水に太陽、風、動物などに意思の疎通を取らなければ自分の生活を守ることができないと考えていた、というのか実際に意思の疎通をとり、神の世界に入り込み自由に行き来していたに違いない。

僕らはいつの頃から、周りのモノたちと意思の疎通が出来なくなくなってきたのだろうか?そういう感覚が多くに人に少しでも残っていたらもう少し違う世の中になっていたのかもしれない。

 

2012/05/31

vol.88 思考の源  ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.90 ニコライ・ネフスキー