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モースのコレクション

E.S.モースE.S.モースは明治の初め「御雇外国人」として日本に来日した学者。「御雇外国人」とは近代化の為、外国の技術、学問を取り入れるために政府や府県、私雇に向い入れられた学者や技術者たちのこと。

モースは膨大な数の当時の日本の民具をアメリカに持ち帰っている。日本の庶民の民具を収集し、分類、整理し調べることを最初に手掛けたのがモースであることから、日本の民具研究の創始者として位置付けられている人物。

彼が収集したものは、外国好みのきらびやかな工芸品でなく、質素で簡素な当時の日本人が日常で使っていたものを多いのが興味深い。モノだけをみているのではなく、それらをを通して「日本人」をみようとしていることが当時の他の学者や収集家とは大きく異なる点だと思う。彼の生活の道具を通しての研究とその資料の膨大さは日本にも例がないことでも彼が当時の日本に大きな思いを寄せていたことが容易に判断できる。

彼の日記には、多くの日本人への感想が記されて入る。

例えば・・・日本人ほど自然を愛する国民はいない。・・・1877年9月上旬

日本人は世界中で最も自然を愛する、もっとも優れた芸術家であるように思われる。彼らは夢にも見ないような意匠を思いつき、それを信じられるほどの力強さと自然さをもって製作する。彼らは最も簡単な題材を選んでもっとも驚くべきイメージを創造する。彼らの絵画的、装飾的芸術に関する驚嘆すべき特徴は、装飾の主題として松や竹などもっともありふれた対象を起用する点である。

何世紀にもわたって、芸術家はこれらの対象から霊感を得てきた。そしてそれらの散文的主題から絵画のみならず、金属、木、象牙を使って無数の変化が生まれた。

この地球上の文明人で、日本人ほど自然のあらゆる面を愛する国民はいない。嵐、凪、霧、雨、雪、花、季節による色彩変化、穏やかな川、激しく落ちる滝、飛ぶ鳥、跳ねる魚、そそり立つ峰、深い渓谷―自然のすべてが賞賛されるのみでなく、無数の写生画や掛物に描かれるのである。(以下省略)

彼のコレクション、手記をみて日本の古い道具を見て触れてはじめて感じたことを代弁しているかのように感じた。日本人でありながらも当時の日本の様子はモースと同じように異国の地として見ている、感じている感覚だったのだと気付かされた。それが良いことなのか、悪いことなのかは僕にはわからないがモノが溢れている社会だから精神的に豊かな世界だとは限らないこと、当時にはあって、現代には何か欠如しているものがあることは理解できる。

モースはこうも言っている。

この国のありとあらゆる物は、日ならずして消えうせてしまうだろう。私はその日のために日本の民具を収集しておきたい。

(参考資料 「モースの見た日本」 セイラム・ピーボディー博物館蔵モースコレクション/日本民具編 小学館発行)

 

2011/02/03

vol.19 日本の知られざるプリミティブ・アート ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.21 残欠