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アイデンティティ

アイデンティティについて考えるようになったのは10代後半の時だったと思う。考えるきっかけとなったのは日本以外の場所で生活を送る経験をしようと思った時からかもしれない。勿論、その時は考えていることをうまく言葉でも説明もできないし、理解もしていなかった(今も理解しているわけではないけど)。言葉として適切かどうかも僕自身判断できないが、最近ではやはり震災後以降そういうことを強く感じている。
アイデンティティ

一般的に日本ではアイデンティティの意味は文化・宗教・政治・民族などのおおまかな枠で捉えナショナリズムと結び付けている感じするがこれはこの言葉を作ったエリクソンらのの真意ではなく、彼らユダヤ人と世界を取り巻く環境がその言葉に強い印象を与え少し湾曲して伝わったのだろうとは歴史を踏まえれば少し理解できる。

英語で身分証明書は「ID」。これはアイデンティティの意味で、大きな集団、民族、国家などとは正反対の意味合いをもっている。自分自身、個人を証明するもののこと。本来は自己に沸き起こる社会的な感情、意識といった意味合いなのかも知れない。どちらかといえば僕に起こった感情といえばよいのか意識といえばよいのかそれはどちらかといえば後者である。自分との社会との関係性、役割などを一応は考えたわけだけど結局はわからずじまい。今尚その答えは見出せていない。記憶や明確な意識は、社会環境や今までの人間関係、教育によって大きな影響を受け本来の自分ではないのでは?と迷うこともしばしば。そんな時ちょっとしたヒントをくれるのが好きな「モノ」なのではないだろうか。骨董、古美術、ガラクタ、アート何でも良い、意識をニュートラルにし素直にモノと向き合った時、好きか、嫌いかの感情が湧いてくる。おそらく、手に入れて持ち続けているもの、なんとなく気にって入るもの、捨てられないものは無意識の中で何かを感じたから手にしているのだろう(そう信じたい)。自分の探究する美はおそらく自分が生きていく上で必要な何かを指し示すものではないかと感じている(そうあってほしい!)。アイデンティティなんて死ぬまで理解は出来ないとわかっていても、もし、ひとりひとりが自分に問いかける事によって内面を意識し行動すれば世界中の色々なことが少しは良い方向へ変わるような気がする。

・・・・ということで皆さん、アイデンティティの為に古道具、骨董を大いに買いましょう!?

 

2011/10/20

vol.56 アートとのもつ社会性とは?  ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.58 浄法寺