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糞掃衣(ふんぞうえ)

糞掃衣(ふんぞうえ)木、陶磁器、金属、布に限らず単純に味があるとか、古ぼけているとかが好きな人は多いと思う(もちろん僕もそのひとり)、また蚤の市や廃棄物などから不用品を集めて作られた作品などに不思議と魅力を感じる人も多いと思う。ものが豊富な時代に育った反動がそうさせたのかもと自分自身理解し納得していた。育った時代や環境もひとつの大きな要因のひとつだけど、そういった嗜好を多くの人が持っている事実はもっと深いところに理由が隠れているのかもしれない。僧侶の衣装「袈裟」の起源になったと言われている布に「糞掃衣」というものがある。名前からも興味を感じる。端切れなどの生地の寄席集めを刺し子のように縫って田の字のようなデザインになっているものである。起源はインド、田の字のデザインは釈迦が水田のそばを通った際に弟子に美しい水田のような衣を作れないかという問いかけで生み出されたと言われていることや、その時代一枚の布は高価で貴重であった為、盗賊に狙われないようにインドの僧侶の戒律で寄裂を用いること記されていることなどから生まれたものらしいが、単純に不要になった布を継接ぎにした布のこと。日本にも法隆寺伝来のものや正倉院、延暦寺にも平安時代ころの古いものが残っている。それらの布は、同じ時代の貴重な宝物品といわれるものよりも、美しくもあり、身近にも感じる。質素でどこか控えめなのに記憶に残るような存在感をもっている。断片的に見たらただのボロボロ布だけど全体から見ると美しくただらなぬ魅力を放っている。

糞掃衣(ふんぞうえ)曹洞宗を開いた道元が「正法眼蔵」で、「糞掃とはぼろのはぎれのことであり、牛や鼠によって痛んだ衣や、焼け焦げのある衣、女性の血のついた衣、神廟や塚に捨てられた衣、あるいは世俗の王から布施として受けた衣や死者に着せられていた衣をいう」と挙げている。つまりは人が捨てた衣料、人の執着が離れた衣料のことらしい。それらの布を材料にしてつくられた 糞掃衣の発想が時代背景や信仰というカテゴリーを踏まえ考えたとしても、不用品を集めて作ったアウトサイダーアートや既製品を芸術と言い張ったダダイスト達のオブジェ・トゥルーブにも相通ずるものを強く感じるは僕だけだろうか?彼らの作品に惹かれるのは人の執着心を素材の中に感じないからかもしれない。古いもの、例えば風化したもの、枯れたもの、形がくずれたものは、必要な道具から不必要なものに変わることによって、人の執着心が薄れてクリアーなものに変化していくのかもしれない。今も昔も美しいもの、美しく成りえるものは、日常生活に溢れている。それらを捉える側のアプローチに違いはあるけれど、釈迦のいた時代より脈々と無意識のうちにに受け継がれているのかもしれない。そう考えると過去と現在がクロスオーバーし、時間という尺度に曖昧さを感じたりするのでおもしろい。

 

2011/06/23

vol.39 Armand(アルマン) ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.41 Black Mountain college(ブラックマウンテン・カレッジ)