人が成長する上において環境はものすごく重要であると強く感じる。もし、世界のどこかに自分の求める環境が在るのならば、できるのであれば行った方が良いに決まっている。海のない地域で優れたサーファーは生まれにくいことは誰にでもわかること。アートも然り、確かに一握りの天才は自らの置かれた環境がいかなる困難な状況であっても打破できるかもしれないが、僕は凡人なので環境を変えることを選ぶ方だと思けど、いざ環境をかえるって、なかなか大変だ・・・・。
第二次世界大戦後、様々なものにアートが取り入れられていき、1933年アメリカのノースカロライナ州に芸術を教えるひとつの共同体が生まれた。ナチに圧迫され閉鎖を余儀なくされたバウハウスから招かれたジョゼフ・アルバースなど、当時政治が不安定だった西欧からの亡命者の多くが教鞭をとった場所ブラックマウンテン・カレッジである。その中には宇宙的視点から地球の経済や哲学を唱えた「宇宙船地球号」で著名な建築家・デザイナー・思想家のバックミンスター・フラー(ソーラーシステムの提唱者でもある)もいた。経済的に継続が困難で短い間で終わってしまったが今尚大きな影響を与えているコミニュティであるし、戦後、アートに限らず思想や哲学といった流れを大きく変化させていったきっかけをつくったのも間違いない。
彼らが行なったアートやデザインの教育に限らず、既成の枠に囚われない活動こそが今の日本に必要ではないかと強く感じている。僕は大学で学んだことはないけどオルタナティブな教育環境を日本につくることで何かが変わる大きな可能性があるのではないだろうかと感じている(特に十代~二十代前半のの若者)。都会の一部は別として日本の社会は良くも悪くも未だコンサバティブすぎると思う。特に地方は都市部の人たちが思う以上に根強い。人口の流失が多い地方では、少数派の考え、思考を持っている人は影を潜めているか都市部へ行ってしまうので若い世代のアイデンティティーが形成されにくい。欧米諸国と違って、人種、宗教の違いもあまりないので議論を闘わせる機会も少ないから、どうしても保守的になっていく。伝統や既存の文化を守ることなどにおいてはメリットが多いかもしれないが、東日本の震災という今までにない経験し、日本の行く末を考えるとますますその重要性は増しているのではないかと思う。頑固なまでに何かに固持することは悪いとは思っていないが、それを固持するのであれば多くのことを知っているほうが良いに決まっている。色々な解釈の仕方を知れば、その固持しているものだって違うアプローチを試すことができるし、自分自身の頑なまでに保持するものと不必要なものとの区別もできると思う。ブラックマウンテン・カレッジのような共同体は今の日本においても少数派、もしかしたらカルトとして見られるかもしれないが、面白い発想をする人間が増えるのは間違いない。
2011/06/30
vol.40 糞掃衣(ふんぞうえ) ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.42 Buckminster Fuller(バックミンスター・フラー)