僕はひとつのものを専門的に集めたり、仕入れたりはあまりしない。古いものを扱う前から蒐集家ではなかったので伊万里を専門に、古陶磁器を、仏教美術を、紙ものをと系統立てて考え集めるのは不得意としているようだ(骨董屋としては致命的な素質の欠落?)。この点が成長しない大きな要因かもしれない・・・と自分では分析している。大先輩の同業者はひとつのものを理解すればすべてのものに応用できると力説する人もいる。時代背景、当時どんなものが流行ったかとか、暮らしぶりなどが見えてくるらしい。そして、ひとつのものが見えてくるとすべてにものがわかってくるそうだ(確かに)。色んなものに目移りして、流行に惑わされ続けている第二次ベビーブーム世代の僕にはちょっと耳の痛い話でもある。とは言え、偉大な過去の蒐集家だってそういう人ばかりではない。何だか系統だっていそうで系統だっていない人だって多い。無理矢理、評論家が結び付けているんじゃないの?幻想を描きすぎているのでは?本当?と思ったりもする(ロマンがないのかなぁ)。本人しか真意はわからないし、もしかしたらそんなに深い意味がないモノだって多いはず。昔の蒐集家は財閥とか一般庶民とは別世界の人が多かったから、金にものを言わせ集めたのに違いないと思っちゃたりする。結局、「好きだったらそれで良し!」と結論付けてしまい真意はどこへやら・・・。
そんな僕でもなんとなく集まってしまうのが、動物もの。これは本当に時代や国、素材関係なく買ってしまう。ただ、かわいい~という理由だけで。何で買うかと言われても「かわいい」以外理由がない。犬や猫が多いので必然的にそれらが多く、次に鳥が続く。マイナーな土人形から、木彫、以前は根付も良く仕入れていたが「これは思い切ってコレクションにしよう!」と固く決意したものから売れてしまうのが不思議。こんな状態が悪いの、グロいの、渋すぎるのに、ちょっと高く買ってしまったから高くて売れないなあ~と思うものが結構売れていく、しかもお客様の年齢も様々、性別も様々なのでびっくり。どうやら、結構好みが似ている人が多いようで、それが実はかなり嬉しかったりする。それに気がつき売るたびに自分の好きに同意を得ることを(売ることで)確認していくことが古道具屋の醍醐味かもしれない。お金をもらって自分を確認できる何とも自分勝手な良い職業である。
今後もどんなものにも興味を持ち、広い視野で、そしてディープに少しづつでもCOREに迫って行きたい。理想は高く掲げ、広くそして深くやっていこう!と一応思ってはいる。
でも、動物ものに関してはそういったものはなく、ただ単に「かわいい!」だけで仕入れるだろう。いや、やっぱり動物もの以外も・・・。
2011/09/29