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会津本郷焼

会津本郷焼僕の古道具、骨董の原点は東北である。今は関西に住んでいるが、骨董、古民芸に対する価値感みたいなものは知らず知らずのうちに東北のものを基本になっているなあと奈良に移り住んでから感じることが多い。茶道を嗜むこともなかったのでもちろん茶道具に関しても視点は本流の骨董(?)とは違うように感じている。とりわけ東北の陶磁器は、古の茶人が使ったもののような(歴史が西と比べて浅い)特別なものではなくあくまでも庶民の為の実用品が主であるから美術的な評価はお世辞にも高いとは言えない(郷土資料的な価値は別に考えて)けどなぜか惹かれる魅力がある。特に本郷焼・相馬焼は故郷の代表的な窯であるし、とりわけ贔屓目で観てしまうのかもしれない。相馬焼は以前ここで書いたので今回は会津本郷焼について感じることを書いてみたいと思う。

会津本郷焼本郷焼が一般的に注目されるようになったのは、全国の地方の窯と同様「柳宗悦」のおかげだろう。昭和33年ベルギーのブリュッセルの万国博覧会で「鰊鉢」がグランプリを受賞したことでより多くの人に知られるようになった。日本人の陶磁器に関しての価値観は世界的に見ても異質といっていい。陶磁器に対してこれだけ愛着を持ち、器を生業としている陶芸家がこれだけいる国は世界を見回しても日本だけらしい。そんな中で美術品ではない、実用品が海外から評価されるということは近年のグローバルなデザインの流れを現していたからだと思う。どちらかと言えば日本では古いものの代名詞と考えられてしまう柳宗悦の思想は、実は近代的で今のデザインにも色濃く繁栄しバウハウスなどの思想に共通する部分も多くあるように感じている。僕らは彼が掬い上げたものに目を向けるのではなく、彼の思想、考え方にもっと目を向けていかなくてはならないのではないかと思う。人間の本質から生み出されるものは、誰にでも優しく、派手さはないが理由はわからなくとも魅力を感じるものが多い。本郷焼にはそう感じさせらるものが多くダイレクトに「生」みたいなものを感じる。特に鰊鉢は、干した鰊を酒や醤油、山椒と漬け込んだ山間の会津の独特の郷土料理の為の道具。あの長方形の形はありそうだけど世界中から見てもない形で、無駄がなく実用一点張り、茶道具にはない純粋な道具の美しさを感じる。まるで生真面目な会津の人々を見ているようだ。

古い地方の焼き物は(民窯)、作為の感じないものが多い。茶道具は裏を読むというか、作り手、使い手の真意を組みとなければ意図を理解できない難しさがある(それが日本人らしいこととか日本の文化かも)。この点は現代のアートに近いものの見方かもしれない。おそらくこの辺りが骨董、古美術の敷居の高さであり、面白さなのかもしれない。本郷焼を含めた民藝は、そういう観点からではなく、今風に例えるのであればデザイン的視点が魅力だろうと思う。今日のデザインはグローバルで敷居が高くない、民藝も庶民のものだから同じようなポジションなどと考えている僕は根っからの庶民派のようだ。

 

2011/09/22

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