この業界で良く使われている言葉が「初い(ウブイ)」である。業者にとったら非常に魅力ある言葉で世間に出回っていない目垢のついていないものである。
まあ、そういうものだけに長年の埃や経年の痛みがあったりするわけで、埃だらけのもの、煤だらけのものが思わぬ高値になったりするのである。確かにそういったものは魅力で、埃や汚れ、時には痛みが、また業者が好きな「味」に見えてしまい目を曇らせてしまうこともしばしばあるのである。
ここ最近感じるのは、汚れは汚れ、埃は埃で、そのものに全く関係ないものなのかもしれない。確かに経年の変化がすばらしいものもあるわけで、全てが当てはまることではないが、僕は東北で古いものを覚えたのでどうしても「味」を加味してしまうので、ものを選ぶ時、なるべく「味」を頭の中で排除して考えるようにしている。本質を見極めるにはそう考えるほうが、僕にとっては都合が良く、ものに対しては初源的な素直な見方ができるような気がしている。ものに迷った時は、状態、味を排除した姿を想像しそれでも魅力的かどうかを自分に問うようにしている。
本来「初い」とは純粋、無垢なもので汚れていないものの意味だと僕は理解している。いつしか僕ら古いものを扱う業者は、埃で汚れているもので単なる汚いもの、言葉の意味とは正反対のものまで「初い」と考えるようになってしまったようである。
ヘタウマは下手であることだし、残欠は決して完品ではないし、味が良くても悪いものは悪い、本に出ているから良いものでもないし、ひねったものは王道ではないし、有名で人気のある人が持っているからって決して良いものではない(あくまでも僕にとって)。ということは決して初荷が「初い」ということでもないのかもしれない。
物の本質を知ることは簡単じゃないけど、それを少しずつ理解する事(理解した気分?)によって余計なものに惑わされない力が付いてくるようになるのではないだろうか。
2012/11/22