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古美術の持つ意味

ここのところ古美術、骨董の持つ意味などを考えたりしている。僕は昭和48年生まれで、生まれた時からモノが溢れている時代に育った。海外のものも周りに多くあったし、古着や家具などの影響もありヴィンテージって呼ばれているものもモノを購入するときのひとつの選択肢と何の違和感もなくチョイスできる世代だと思う。もちろん、古いものに本格的に扱い始めたときも骨董もアンティークも古美術も茶道具も現代アートもはなから同一線上に考えていた。僕らの親世代が考える骨董、古美術のイメージとは既にスタートが違うのではないかと思う。それが良いのか悪いのかはわからないが、骨董、古美術の本筋とは相対する側、いわゆる既存の価値観に関するアンチテーゼする少数派だった嗜好はいまや既に大きな流れになり本流になりつつある。もはやアンチテーゼではないものとなっていると考えている。少なくても僕らの世代ぐらいからはアンチテーゼしているほうが本筋かもしれない・・。こうなるともはや、バリバリの茶道具が現代社会にアンチテーゼしているものに見えてくるかもしれない。

黒楽茶碗
黒楽茶碗 銘あやめ
長次郎作 16世紀 MOA美術館蔵

モノにフォーカスしすぎると本質を見落としてしまうことが多々ある。サビサビの鉄の道具、原型の留めていない流れ仏、壊れた玩具ももフォトジェニックで写真を見るとハッと感じるものもあるが、それはどのような経緯で選ばれ、その場所に置かれ、写真を撮られたのかを考えなくては本質を見過ごしてしまう。ある意味そこは現代美術の見方が必要だ。そういう感覚でものを観ることは大事なことだけど、僕はそれがまるで新しいものの見方として紹介する段階の時代は既に過ぎていると感じている。僕らはさらにもっと踏み込み、そのものに託された何らかの人々のメッセージを感じ取らなければいけないのではないだろうか?

2012/09/27

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