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はじまりのはじまり

 

金銅藤原道長経筒
金銅藤原道長経筒(国宝・金峯神社蔵)

僕にとって古いものを買って売ってを繰り返すことは自分の意識の中にある不確定なものを探求することなのだろうと最近は思う。最初は「物」対しての欲求、家具や器などの実用的な身の回りに置いて使えるものへのこだわりのほうが強かった。それがいつしか、ものを売り買いしていくごとに「物」へ対してだけではなく、目に見えない物のもつ力みたいなものへと変化していった。その境は、きっと実用品の要素が強いものから、実用品(道具)として使えないもの、見て感じるものへとなったことだろう。精神性の高いものと言ってしまえば何だか高尚なことのようだが、自分の意識に訴えかけてくるようなものは確かに存在するわけで古いものに関わらず、絵画や音楽、映像と同じような嗜好が存在している。そういうものを観て、触れて、感じ、自分の中で消化していくことが面白いのである。

そう考えると、何も古いものではなくても新しいものでも感じることができるのでは?と思うが、現代のものになればなるほど、時間的経過の中で色々な要素が絡み無い、外部からの影響を受け、初源的な精神、哲学、信仰といったものが見えにくくなってしまい、オリジナルを知りたいがあまり、時代の古いものへ、古いものへと興味が向いていくようだ。決して、ただ単に古いものが良いわけではない。そのものが人間の世界に存在し、持続していく過程で何か大きな力で変化する時期が必ずあり、その大きな変化の前後のものは強いメッセージを感じるものが多いような気がする。

僕たち人間はひとつの共同体としてこの地球を生きているのだとは思うが、それは決してみな同じってわけではない。人間は「個」として存在するわけで似ているが非であるもの。自分の意識を探っていくと人とは違う何かが見えてくるのではないだろうか?コピーが蔓延し、リツイートのようにオリジナルが関係なくなくなってしまうような情報が氾濫している時代だからこそ、探究心が深くなっていくのだろう。

これからが本当の始まり。はじまりのはじまり。

 

2012/12/27

vol.118 アートだったら許される? ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.120 神々と仏