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合理性ってなんだろう?

Blaise Pascal
Blaise Pascal

古いもののへの愛着は懐かしさや温かみを求めるだけの欲求だからのだろうか?直感や第一印象で気に入るものは単純な理由で選んでいる訳ではないように感じている。色々なことが混ざり合い、重なり合い個々の宗教観や環境など色々なものが複雑に絡み合った結果、自分の好みが生まれる。決して合理性に基づいて好みを決めている訳ではない。

戦後の日本人は無宗教、宗教に興味がないと言われているが、潜在意識においては強い信仰心があると思う。それ故、宗教と言う言葉に一種の嫌悪感を抱き、一般的にそういった議論はタブー視されているような気がする。でもこれはほんの数十年間での変化でかつての日本はそうだったわけではないと古いものと対峙していると感じることが多い。

Rene Descartes
Rene Descartes

戦前の国家神道に対する反省とアメリカを筆頭とする欧米諸国への強い憧れが合理主義、民主主義を真理として受け止めてしまったのかもしれない。不合理なもの、科学で証明できないないものを野蛮とみなし多くの古来から継承した日本的なものを失くしてしまった。欧米の合理性はキリスト教に基づいているもので日本のそれとは異なる。その合理主義、科学万能主義を真理と思い込んでしまった為に今の日本は行く先が見えず迷い込んでいるように思える。このように書いている僕だってかなり西欧化されているし、近代医学や科学をそれなりに信用しているから当然矛盾は感じるが、ここ数十年の日本人はそれをあまりのも求めすぎてしまったのが要因ではないだろうか。このまま世界中が大陸合理主義を続けていったら世界はどうなってしまうのだろう。そういったものを危惧する心理はアートやデザインに当時の世相が色濃く表れている。日本の西欧化と照らし合わせてみると世界的には無機質なバウハウス的なものが長く続き、グローバルって言葉が頻繁に出てくる頃には少しずつオーガニックなものに変化し、さらに不況から抜け出せない今は内面的、精神的なものに変化していっているような気がする。合理主義を唱えた欧米からそういうものが多く作られ、それらを新しい流れとみる日本の風潮はなんとも皮肉に感じる。欧米各国のアーティスト、クリエーター、デザイナー(すべての人ではない)が民主主義や合理主義が立ち行かなくなっていることを敏感に反応しているように感じるのは考えすぎだろうか。日本では僕の観ている量が少ないのかもしれないがそう感じるものは少ないように感じる。

合理性ってなんだろうと思うが故に、作り手の意識が現代の生きる僕らと違っていた古いものに対して何らかの興味が抱くのではないかと考えている。結局はものへの興味は当時の人への興味であることだろう。僕はどちらかと言えば無神論者で偏った政治思想もないが仏教、神道、道教などが混合している日本固有の宗教観は嫌いではない。世界全体とか、日本とか政治家ではないのでそんな大きくは考えないが今の行き詰まった合理性に個人レベルとして、古いものは、何かヒントを与えてくれるかもしれない。

 

2012/02/16

vol.73 暮らしに寄り添うもの ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.75 北のたくましさ