「もの」に与える社会情勢の影響は大きい。特に芸術やデザイン性の強いものに関しては、作り手を通してその時の世の中の動きを感じ取れたりできる。作者の意図を100パーセント理解は到底不可能だが、メッセージを自分なりに受け取り解釈していく作業は自己を分析するという意味でも面白い作業のような気がする。
もちろん古いものに関しても、それがつくられた当時のことを調べていくと自分の好きなものに何らかの共通点があったりして、偶然とは思えないことに気がついたりするから不思議。
昨年僕は何となく絵馬に出会う機会が多く、例年よりも比較的多く手に入れることができた。その年号を調べて当時どのようなことが起こったかを確認すると水不足や飢饉や自然災害の起こった年のものが多かった。まあ、絵馬であるので何かを願って奉納するわけでそういうことが多い年はおのずと絵馬も多いわけだが、くしくも昨年は東日本大震災が起こっているので、意識的に選んでいるのかも知れないが偶然にしては不思議で何か意味のあるような気がしてならない。
人間にとっていくらあがいてもどうしようもないことが起こるといつの時代でも神様にすがるのは今も昔も変わらない。
芸術の方に目を向けても戦前、戦中の作品は思想が色濃く出ている作品がもちろん多いし、戦後に近い作品は自由や精神を開放するようなイメージのものが多い。
そして今作られているものに目を向けてみると、全てがそうではないがこんなにもモノが氾濫しているのに社会の動きや作者のメッセージが自分なりに納得できる解釈できるものが少ないは僕の感覚が古いのか?それとも鈍感なのか?僕の興味はますます古いものへと向かっていく今日この頃である。
2012/09/13