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エスノセントリズムと文化相対主義

エスノセントリズムと文化相対主義  日本に置いてエスノセントリズム(自民族中心主義、自文化中心主義)を感じることは諸外国に比べると少ない。僕は文化相対主義的なものも、他の国と比べれば強いがナショナリズムの希薄さも大きな要因と感じている。しかし、ここ最近世の中ではその傾向が色々と増えてきたような気がする。もちろん、隣国も含めて・・。僕は十代の後半から多民族社会のカナダで数年間ほど過ごした経験があり、多民族が社会で共生していくにはお互いリスペクトしあう関係でないと社会は成立しない。確かに白人社会では日本人が思っている以上に有色人種への隔たりは強いし、アジアの人々も日本人に比べものにならないくらいのそういった思想をお持ちなので、日本で育った僕には驚くべき出来事も何度かあった。表面上は文化相対主義のようでも実際はそうでもない人が意外と多くいたような気がする。人種、宗教の衝突のないところなんておそらくないのだろう。そういった部分で日本人は気にしないのか、関心がないのか良くも悪くもエスノセントリズムを感じにくい社会なのかもしれない。
エスノセントリズムと文化相対主義

関係ないような骨董、古美術もその辺と強い関係があると感じている。いわゆる表面的なものだけを追わない人(識者、数奇者、貧数奇者など平たく言えば重篤な骨董病の人)は、初源的な部分に触れあいたいから、思考の源を掘り下げいくことによってエスノセントリズム的なものの見方をする人いれば文化相対主義的な見方をする人もいるわけで各々の視点によっては意味合いが大きく変わったりする。この世界は個人の趣向性が非常に強いものだから好きなものを集めたものを見るとなんとなくその人の思想までもが伝わってくる時もあるわけで、ある意味赤裸々に自分の内面を見せているかもしれない。もちろん、そういった部分だけではないDNAの記憶としか言いようがない理由なき趣向性もあるけど。

僕はある程度のナショナリズムは必要だと感じているが、それ故どうしても日本のものを贔屓目に見てしまいがちだ。骨董、古美術にはものを見る際には偏ったものの見方が必要な場合も多々あるのは事実。人はどうしても自分の育った環境を主として物事を判断してしまうので良くも悪くもエスノセントリズムはどうしても存在してしまう。それを認識することによって文化相対主義的に冷静に判断できるかどうかだと思う。ここ2~30年、企業、マスコミやトレンドの影響によって自分の趣向を大きく左右されてしまう深みのない偽文化相対主義的な人たちが蔓延ったせいで次世代に対して伝えるべきこと、伝承するべきことがなされなかったのではないだろうか。バランスを保つって本当に難しい。

 

2013/06/27

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