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バックカントリー

自分の尺度で考えるのは良いこともあれば悪いこともあるかもしれない。僕は古道具、骨董、古美術と呼ばれている世界に足を踏み入れたわけだが本当に奥が深いなあと最近になって実感している。

あの魯山人は「人はものをつくり、ものが人をつくる」てなことを言っていたと何かで読んだことがあるがその通りかもしれない。さらに、貧しくても自分でまかなえる範囲内で出来るだけ良いものを傍に置いておく事とも言っていたらしい。そういったものから自分にとって有益な何かを感じられるってことなのだろう。

でも、その良いものの定義って難しい。著名な評論家の評価か?市場価値の評価か?それとも外部の意見を無視した自分が正直に感じたものなのか?どういうものなのかあまりにもぼやけていてはっきりと見えてこないのが僕の印象だったけどこういう仕事を数年やっていると少しは自分なりに感じてくるものがある。この感覚は、僕が経験したものではスノーボードのバックカントリーに近いものがある。バックカントリーで至福の瞬間はなんといっても新雪を滑っているとき、この瞬間を求めて何時間も歩き、雪崩の危険を感じながらやるわけだけど、毎回その至福の一瞬を過ごせるわけではない。自然はいつも違う表情を見せるので、その変化を見逃さないように自然に寄り添うことで時々ご褒美をくれるようなものなのだろう。僕が良いと感じるものもよく観察すると自然に逆らっていないものが多いような気がする。素材、形、色など様々なものが、自然に寄り添うような気持ち、尊敬の念みたいなものを感じるものが多い。

バックカントリーその反対なものって傲慢な感じですべてのものをコントロールしようとする感じを放っているような気がする。人は自然を支配することなど出来ないのだからその力に反発するようなものって僕にとっては良いものには感じないのだろう。自然はコントロールできないけど、ある程度の秩序は与えてくれ、生き物であれば感じることができる。長い冬が終われば春が来るし、夏には太陽が日を充分に照らしてくれる、秋にはたくさんの食べ物を与えてくれる。それに寄り添っていれば人は充分幸せに暮らしていけるはず・・。よいものも同じで自然の摂理に逆らっていないもののことではないだろうか?そう考えたら、評論家の評価も市場価値も気にならず良いものが判断できるのでは?これは良くも悪くも自分の尺度・・・。

 

2012/02/02

vol.71 ウィレム・デ・クーニング ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.73 暮らしに寄り添うもの