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オノ・ヨーコ

前衛芸術・音楽・日本と言えば名前が思い浮かぶのがオノ・ヨーコ。日本人の前衛芸術家の中で世界で最も有名なのは誰しもが認めることだろう。日本人芸術家のなかだけではなく日本人としても最も世界的著名な人物と言っても過言ではない。事実、僕がカナダに住んでいた時、日本のことは知らなくてもオノ・ヨーコのことはみんな知っていた。けれども彼女の作品とか活動って日本では一般的にあまり知られていなかった。どういうわけか日本では彼女の作品について評価することも、批判することも最近までなかったのはジョン・レノンの妻ってイメージが強く、世界的には芸術家よりもビートルズを解散させた原因の人物の一人としてあまり良いことも言われていなかったのも事実なのでそういったことも関係してたのだろう。作品やパフォーマンスも一見難解なものが多いし、急進的な政治活動に傾倒していたことも日本ではなんとなく受け入れがたいひとつの要因なのだろうと思う。しかし近年、彼女の活動への評価は日本ではもちろん世界的に高まっているようだ。

ジョンとヨーコ彼女は以前ここにも書いた「フルクサス」と活動を共にしていたし、活動内容も幅広く、そのアグレッシブな表現方法、行動力はあまりにも日本人離れしていて日本の社会では受け入れきれなかったのではないだろうか?。

でも、彼女の作品やパフォーマンスは実は超日本人的な感覚があるし、難解なようでシンプルでストレートな表現だと感じる。伝えきれないこと、説明できないことは実は感受性の乏しさがあるからで、それを理解してないことを評論したり、批判や注視しないことで感受性の乏しさを自己防衛していたのかもしれない。彼女の活動はそれとは逆で批判を恐れていないと感じるし、ものすごくポジティブで足元がぶれていないと感じるはものすごく純粋なものを芯に備えているからなのだろう。今の日本には彼女のような意識が必要なのかもしれない。

僕は場末の古道具屋で、芸術には素人であるし、ただ単に感じたことを書き留めているだけで評論しているつもりもなければ、何の意図もない。ジョン・レノンの曲を聴きながらただ何となく書いているだけである。死後、評価されるアーティストは本当に多い。ジョンは伝説になったし、映画「サバイビングピカソ」ではピカソ役のアンソニー・ホプキンスが「芸術は死んで完成する。」みたいなセリフがあったけど本当の評価って時間がかかるようだ。まあ古美術だってそうだし、そういうものなのかもしれない。

 

2011/12/01

vol.62 宗 左近  ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.64 家で使う茶碗