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大和古物

東大寺
画像  東大寺HPより

奈良に移り住み奈良らしい古いものを扱いたいと漠然と思っていたわけだが、これは自ら高いハードルを掲げてしまったことに気が付いたのは最近のことである。

奈良に関する古いもの・・・、解釈は色々あれど古美術界においても相当レベルの高い部分であるのは間違いない。そう、やすやすとは手に入れることのできないものが多すぎるのである・・・。なので視点を変えて観ようと思うわけだが、奈良らしさを感じるものはやはり、品のある古格、時代がそれなりにあったり、千年ちかく伝承されてきたものとかが多いので、簡単に手に入れるものは、小手先で考えたような軽さが出てしまうのは否めないのである。やはり、多くの人が容易に感じれるものは、決まってくるわけで、おのずと絞られてくるようだ。

奈良というと仏教的なイメージが強いわけだが、日本のものの背景を理解していくには、やはり信仰という点は見逃すわけにいかない核となる部分である。信仰の源流を考えていく上で、奈良は間違いなく中心。大陸の洗練された仏教、日本の神道が絡み合い,、形となって表現された土地なのである。時空を超えて、これほど現代に当時を物語るたくさんの社寺、文化が感じられる場所、そういう環境に住んでいるせいなのか、DNAに組み込まれた何かが刺激されるのか、古いものに接していると当時の感覚を感じられるような錯覚に囚われるのである。ローカルな情報や環境にごく自然に触れ合う、ふっとした瞬間に「もの」の本質を感じ取れるような気がしてならない。一方でグローバルな視点も重要と言われているが、今のように情報過多はいかがなものか?とも、奈良を観ていると感じるも確か・・。情報が少ない時代のほうが、モノの表現、製作者の意図や思いを読み取ろうとする感覚が優れていたのではないだろうか、ある意味、目には見えない感覚が発達していたのでは?とか、僕らは進化しているように思っているけど、本当は退化しているのではないだろうか?とか真剣に考えてしまうのである。古美術であれ、アーティストの作品であれ、デザイナーのプロダクトであれ、きっと、そういう思考を促がしてくれるようなものがきっと良いものなのだろう。まあ~、そんなことを考えつつ古い物を日々探しているが、奈良の古いものを扱うのって本当に色々な力が必要だなあと日々実感している。はやく奈良のもの得意としていると胸をはって言える日が来るよう精進しよう。

 

2013/01/17

vol.120 神々と仏 ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.122 パラダイムシフト