一応骨董とか古いものを扱っている。なので古い白いものについて語るべきかもしれないが、いろいろな著名な方々が古い白ものについてはたくさん語っているのでそれを読んでいただいたほうが良いと思う。 デルフトも李朝の白磁も宋白磁も語れるほどの力量は持っていないのであしからず・・・。
僕が白に興味を持つのは、モノよりもそれを内包する空間、特に壁や天井などの白、木材などに塗りが施されていないいわゆる白木などのほうかもしれない。日本の古い空間は、モノがほとんど置かれていなく、木材、壁の塗り、建具などの障子などが完全に調和している。一つ一つの材料は白ではないし、空間は薄暗いところもあるが、色でイメージするなら「白」しかない。新鮮な空気を取り込み、戸を開放すれば陽を入れることもできる。陽の光は七色と考えられているけど、光を色に当てはめるなら目に映る色は白であるから、陽を室内に取り込むことによって白のイメージは一層強くなる。日本の空間は、薄暗いものから明るいイメージまでまるで白のように何色にも染まるのである。
簡素で自然に対してでしゃばっていない古い日本の空間は自然環境に何色にも染まるものだ。 素地の仕上げもより白のイメージが強い。「白木」などは、実際白くないのに「白木」と呼ばれている。これは日本人の宗教観によるものかもしれない。
白について日本人以外のことを考えてみる。本や誰かに聞いたことではなく自分の体験したことで何か無いか考えてみると若い頃の友人のジャマイカンのイアンの出来事を思い出した。当時彼とは毎日のようにクラブへ行っていた。彼は着るものに対してかなりこだわりがあるようでいつも白い服に白いスニーカーを履いていた。いつみても新品のように真っ白だったのを記憶している。ある暑い夏の週末の夜、クラブは若者で溢れかえっていた。みんなお酒も飲んでいるわけなので酔っ払いも多い、そんな酔っ払いにイアンが足を踏まれ、彼は激怒した(相当なキレ具合)。踏まれたことにではなく白いスニーカーが汚されたことに・・・(その後大乱闘に、このような出来事は珍しくなかった)。
また洗濯の際に、間違って色物が混入し白い服に色がついたときの落ち込みようはものすごいものがあった。怒りの矛先は白い服を買った店へ。対応した人はさぞ大変だったであろう(普段は温和な心やしい男)。彼の白のこだわりにジャマイカの宗教観やボブ・マーレーが関係しているのかは不明だが世界各国、個人を含め様々な「白」についての独自の美意識を持っているようだ。ぜんぜん違う話のように聞こえるけど根っこの部分は同じような思いから生まれているのではないだろうか?柳宗悦が見出した李朝の白もイアンが見出したこだわりの白いスニーカーや洋服も・・・。僕が感じる日本の空間の「白」のイメージもそうなのかもしれない。
2012/08/09