僕は特定の宗教を信仰しているわけではないが、ここ数年は信仰の遺物、特に民間信仰と呼ばれているものに興味を抱いている。日本の古いものを扱っているのならば切っても離せないところだと思っている。民間信仰と一言で言ってしまうがその幅はものすごく広いけど、古いもの、その中には外来宗教(仏教など)の入る以前の日本の古代信仰が根底に流れているように思えてならないものが多い、神道の原形みたいなものを感じるのだろうか?その根底に流れているものこそ僕らの思考の源になっているのではないかとこのモノが溢れかえった現代に生きているから強く思うのかもしれない(こういう思想が右翼的と判断されることがありますがどうなんでしょうか、ちなみに原発反対と言えば左翼と言われますが右と左に分けること自体違うような・・・)。
日本の田舎を歩いていると小さな祠が至る所にある。十年前ほど前、両親が引越した古い家の裏山にも祠がある。また道祖神や石仏の供養塔なども多くあり、今尚地域の人に信仰されているのをお供えしているものや綺麗にされているところから容易に理解することが出来るものから、ただの石に注連縄を巻いているようなもの、お神酒などお供え物を見てかろうじてここが神の居場所なのだろうと判断出来る簡素なものまで注意深く普段の街を歩いていてもその数の多さには驚く、生活に密接で、ある意味生活の象徴的なものだったのかもしれないと思うほどだ。ちょっと前の日本は現代に生きる僕らが思う以上に日常に神が満ち溢れていたのだろう。
火の神、田の神、水の神、山の神と生活に関係するすべての場所といっていいくらい神は存在している。確かにそういった神が興味の対象であるが、もっと知りたいことはそれによって人の思考や行動の変化を読み解くことである。信仰の原点をみて、僕らはどのような過程をたどって、今のような思考をし生きて来たのかを少し理解できれば、現在の僕らを取り巻く解決困難な様々な問題に少しでも新たな視点、糸口を見出せるような気がしてならない。
現代に生きる僕らはそういった身近に存在する神々を見たり、感じたりすることが出来なくなくなってしまったのだろうか。
2012/05/24