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宗 左近

詩人、仏学者、評論家でもあった宗 左近(そう さこん)は、古美術、特に縄文時代の土器や土偶や韓国の古陶磁器を蒐集した人物として骨董や古美術に興味のある人なら多くの人が知っている人物だと思う。古美術に関する著書も多く、その評論も表面の「美」だけではなく過去と現在をクロスオーバーし当時と関わりを持とうとする表現がいいなあと感じる。蒐集したものも様々、自分の興味を持ったものから集め追求し、結論を見出し歴史と自分の感覚と照らし合わせて、また次のステップへといく感じがなるほどと感じさせられる。博物館級や美術館級のものを所有していた名だたる著名な蒐集家とは異なる視点がより現代的で親しみやすい(僕のレベルではこんなことを言っていいのかとは気がひけるが・・)。西欧の前衛美術にも強い関心を持っていた人だけにそういう見方が出来たかもしれない。

宗 左近僕が1番なるほどと思う点は、古美術品の中から自分のソース(源)を見出そうとする点。なぜなら僕も古美術と美術との最も異なる点は何と言ってもその部分を感じさせてくれることだと思っているから。縄文の作品からは弥生以降の日本によって断絶された原日本人を感じ、韓国の陶磁器からは弥生以降の忘却された養父母が立ち現れるといったことを書いてあるのを読みえらく共感した。

本筋の古美術、骨董を好む人もいれば、新しい感覚と呼ばれる雑誌で良く見かけるような流行のものを好む人も実は対象が異なるだけで同じことではないかと感じることもある。古臭いか、流行っているかは言葉だけで自分の美的感覚とは全く無意味。物を通して、内なる自分にどう刺激を与えるかが面白いのではないだろうか。しかし、正直、こんなにも物や情報が多いと本当に自分が強く惹かれるものを見出すのは困難な作業だと感じたりもする。骨董界、古美術、古いもの世界で今後、「目利き」と呼ばれる人はおそらく自分の美に対する感覚が素直で情報などに惑わされない人ではないとなれないのだろうなと感じる。でも商売は成り立つのだろうか?とも淋しい思いにかられるのも事実。

彼は生前、自分を「骨董病」と言っているが、もしかしたら僕も発症しているのだろうか?どちらかと言えば処方する立場かと思っていたのに・・・。

 

2011/11/24

vol.61 Stacy Peralta(ステイシー・ペラルタ)  ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.63 オノ・ヨーコ