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マーク・ゴンザレス

マーク・ゴンザレス
画像はArkitip, Inc.ウェブサイトより

キース・へリング、バスキア亡き後、90年代から今までのストリートアートを牽引してきたといっても良いマーク・ゴンザレス(MARK GONZALES )。今のストリートカルチャーを語るときに彼の名は必ず挙がる。僕にとってはアーティストっというよりもスケーターとしてのイメージが強いが、スケートボードで独自のストリートスタイルを確立し、そのスタイルは常にスノーボードやサーフィンをへも多大な影響を与えて、それがその後ストリートカルチャー全体に浸透していくのは90年代~今日に至るまでごく自然の流れになっていたような気がする。スケーターのレジェンドで、アーティストで詩人、時には映画の脚本から俳優、ストリートファッションはもちろんスケートボードブランドのオーナーまで多彩な才能を発揮している。マークの作り出すものは「アート」とか「ブランド」とかの枠に収まっていないのがすごい。彼のスタイルは今後、未来のストリートカルチャーのみならずアーティストやクリエーター全体のあり方を指し示しているように強く感じている。

最近、スケート、スノーボード、サーフィンをしている人で多彩な才能を持つ人が多く輩出されているような気がする。例えば、ミュージシャンでプロサーファーのジャック・ジョンソンとか同じくミュージシャンでプロスケーターのトミー・ゲレロとかその他デザイナーやクリエーターで活躍している人が数多くいる。

自分がやっていたという贔屓目もあるが、他のスポーツとかと圧倒的に異なっているのがお互いをリスペクトすることがごくごく自然な環境であること。特にコンテストとかの順位で人を判断せず、個人の持つスタイル(個性)があるかが判断基準になっているからではないだろうか。カナダでスノーボードをしていたとき感じたのは自分らしさをライディングに出すこと、派手な技でもなければ、誰かの真似でもないスタイルが仲間のなかで最もリスペクトすること、されることであった。プロであってもアマチュアであってもビギナーであっても関係なく、国の出身も関係ない世界であったことは日々感じていた。スケートボードもサーフィンもその環境は変わらない。教本に忠実な技術、権威ある教育とかとは正反対のところにあった気がする。スノーボードがオリンピック競技になる際、普通だったら喜ぶことかもしれないが、疑問視する人、反対する人、コンテストに出ない人は数多くいた(スケーボーはおそらくオリンピックにはならないだろうとは思う)。事実、最初の頃は誰もが世界一と認める人が出場していない(今は生きるレジェンド、ショーン・ホワイトがいます)。そんな環境が彼のアーティストへの才能を大きく開花させた大きな要因ではなかったのかと感じる。

分野は全く違うが日本の古美術、骨董業界はそれに比べてたらかなり遅れていて石器時代並みかもしれない。もしかしたら古美術、骨董、アンティークとか、アートとか、カテゴリーに分けることさえ間違っているかもしれない。骨董だとか、古美術だとかそんな狭い中で考えていても何もはじまらない。そんなことより、売る側、買う側とかも関係なく、個人個人がお互いの個性をリスペクトすることをもっと大事にしていかなければならないのではないだろうか?もっと単純に考えようぜ!と彼の活動や作品をみていると強く感じる。

*昨年末マークの画集「INVITATION」が日本で発売されました。ご興味のある方は是非ご覧になってください。

 

2011.01.13

vol.16 カルロ・スカルパ ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.18 マルセル・デュシャン的骨董思考