マージナル・マン

マージナル・マン僕にとって古いものへ興味はその時代に生きた人々の興味を持つことなのだと思う。ものを見つめ、自分なりに調べ考察していくと、学校の美術、社会では教えてくれなかった日本人文化の源流を感じることが出来るような気がする。間違っているかもしれないが新しい価値観はいつの時代でもアウトサイダーな人々から生まれる。現代だったらストリートで生まれるように昔も一般的の考え方であれば社会の底辺にいる人たちから生まれているものが多い。

中世に貴族社会で花開き、洗練されていった日本文化を代表する侘茶の美意識も利休が上流の教養人からヒントを得た訳ではない。利休は竹の道具を取り入れていったし、彼が川の漁師から買い求めた竹で編んだ籠を買い求めそれに花を生けた(その魚篭は現在重文)。当時、仏教の戒律に反し殺生を行う漁師は卑賤視されていたし、竹に縁にある人達は決して上流社会にいたわけではなく、差別され社会の最底辺にいる人たちだった。利休が何か意味を持って貴族社会にそれを持ち込んだのかはわからないが強い思想、哲学を持っていた利休がただ単に「綺麗だから・・・」持ち込んだとは僕は思えないのである。もしかしたら、彼らと強い係わり合いがあり、何かに共感していたのかもしれない。そういった日本の美の偉人を自分なりに考察し、自分の好きなものを深く考えてと民族学でいう「常民論」的な思想のものにはあまり興味はなく、マージナルなもの、山や海の民、辺境の人びとに強く共感しているのに気が付いたのである。歴史の表舞台だけ見て、語っても、決して「日本で生きるものの心」を考えたことにはならない。隠され、葬りさられた歴史を知り、感じなければ本質は見えてこない。物の持つ力強さにはどこか綺麗だけではない人々の悲哀があるように思えてならないのである。特に古いものにはそういったものを多く感じるからこそきっと惹かれるのだろう。日本の西洋化がはじまったと頃に「日本人単一民族論」も強く唱えられるようになり、日本人論=今尚根強く続く戦前のナショナリズム に大きく関係していくわけである。ものを通して歴史を紐解いてくると日本には非常に重層的な社会構造が存在していたことに気が付くわけで、そういうものを考えていくと自分のアイデンティティとは何かを知ることにも繋がっていくような気がする。

 

2014/02/21

 vol.154 日本人という意識 ≪ 三坂堂通信 ∥