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古相馬

古相馬 僕は福島県の郡山市で生まれ育った。福島は広く太平洋に面した浜通り、内陸部の中通り、そして山並みが美しい会津地方の3つの地域があり、相馬焼は、海に面した浜通りにある福島を代表する窯である。信憑性は薄いといわれているが一説には田代源吾右衛門が1623年(元和9)に京都上洛(じょうらく)のおりに野々村仁清のもとで修行をしたともいわれ、実用重視の大ぶりで剛健なイメージの他の東北の民窯のものとは違い古いものの中にどこか京焼を思わせるものがあったりする。実際、僕が持っていた相馬焼の水柱などをみて「京焼?」と京都の業者さんに聞かれたことは一度だけではない。東北の民窯なのにどこか都を感じさせる気品があり、繊細さが飛び抜けているものが古いものの中にあるのだ。「走り駒」(馬の絵)に青磁で釉薬のヒビに墨を塗りこんだ意匠が印象が強いが、古いもの中には色々な釉薬、形ものがあり、福島に居た頃はそんな古相馬を良く探していた。

陶工の技術の高さと太平洋に面した自然豊かな環境が時に独特の造形、表情を生み出していたのだろう、まるで北欧の焼き物のようなものまであるので驚いたことが多々ある。北欧の焼き物は、日本の民藝にインスパヤーされたものが多いと聞いているので当時相馬焼をみたのかもしれないと思うと妙に嬉しくもある。相馬の土瓶などは柳宗悦が紹介もしているので他の相馬焼が海外で紹介されていてもおかしくはないだろう。

今のように世界中の人々と情報を共有できない時代、特に明治ぐらいまでのものは地域性が色濃くものに現れているので面白い。正直、日本全国の現在作られている陶磁器は多少、個性を感じるものがあっても地域全体の色「ローカリズム」を感じるものが少ない。自然環境や暮らしの中から生まれる造形にはそこに住む人の生命力みたいなものや独自の文化、郷土色みたいなものがさりげなくあらわれているから魅力があるのだと思う。現代の作家さんのものよりも僕が古いものに惹かれるのはそんな理由かもしれない。

しかし、悲しいことに相馬焼は今回の震災の影響で避難を余儀なくされた。いつになったら戻れるのか誰にも予想が出来ない状況である。幻の焼き物にならないことを祈るばかり・・・。

古相馬 古相馬

 

2011/05/26

vol.35 阿弥陀如来 ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.37 僕の骨董感