今回は「白磁の魅力」を僕なりに考えてみました。白磁といっても色々ですが、唐の白磁や李朝の白磁と言った古美術の頂点に君臨するようなものは僕には語れませんので身近に接することができるものに焦点を当てていきます。
東北出身で東北でこの商売を始めましたから、今住んでいる関西のように古伊万里を今ほど多く見かけませんでしたので、最初は白っぽい物と言えば以前にも書いた「平清水」か大正や昭和にかけて多く作られた瀬戸の白磁、もしくは宮城の切込あたりでしょうか、切込は地元仙台で評価が高く,数も少なく非常に入手は困難でした(特に白磁は)。平清水は粉引ですので今回の趣旨とは異なりますので、そうすると僕の古物の商いで最初の白磁は瀬戸になります。瀬戸の白磁は器というより、絵の筆洗い、写真の現像用のパレット及び溶液入、水盤、医療用の容器、理髪店の道具、電気や照明の部材などを多く作っていました。時代の若く、しかも器ではなく道具ですので、田舎では意外と多く入手できました。といってもニッチな商品で田舎ですので扱う業者がいないかったことも要因です。瀬戸の白磁の道具は、装飾も少なく、実用的なデザインものが多く、現代の感覚、インテリアの相性も良いので好きなもののひとつです。近年のアートやインテリアの大きな流れであるシンプル、ミニマルといった感覚にマッチしたものだと思います。
基本的に染付より無地のものが好きなので伊万里では俄然「白磁」が好きです。余計な装飾、模様がないので形やバランスがより一層際立つ潔さを感じますし、なにより食器として使えばどんな料理も映えるのが嬉しい。古いものになるほど、表情も各々異なり焼きが良かったり、甘かったりで現在の既製品にはない暖かみも感じます。やはり白磁は使ってこそ面白いと思います。そのものを飾って鑑賞するだけではなく、何を組み合わせて、どこに使うかその範囲が広いから魅力を感じるのでしょう。白磁は前回、取り上げた「シェーカー教徒」の言った「美は有用性に宿る」の言葉にあてはまるものひとつではないでしょうか。とはいえ、いつかは李朝の白磁の名品を手に入れてみたいものです・・・。
2010.11.03