ここ数年、金の相場が良いらしい。と言っても僕にはあまり関係ない話だけど、ここ数年、金の相場と同じように「金」に少しずつ興味を持ちはじめている。
もちろん、古いものの中の「金」のことで、仏像の鍍金、蒔絵の金、古陶磁器の金繕いなど古いものの中には金は意外と多い。ちょっと前までは「ゴールドってどうなの?」なんて思っていて、僕とは全く無縁なものと感じていた。この金繕いは本金だから良いとか、この金銅仏は古いのにに鍍金が残っているなあ(買えないのにそう感じたりする)とか金に対するイメージが以前とは変わりつつあるから不思議なものである。と言っても、金の無垢の仏像とかをを良いと思うまでの心境へはまだまだ道のりは遠いというか、僕はその境地への到達はきっと出来ないだろう。おそらく懐の問題も大きく関係しているだろうから・・。
興味が沸いたって、人にはやっぱり好みがあるし、まあ、「金」が使われているものだったらすべてに興味があるというわけでもない。
古いものの金の興味が沸いてくると自ずと今まで眼に入らなかったものへも関心が向いてくる。民衆的なものだけではなく、より高い技術の工芸的なものや仏教美術やそしてより時代のあるものや特別に作られたものだ。いわゆる民藝と呼ばれているものは、その時代の生活のリアリティーが現われているようで親しみやすい。一方で一般的に美術的評価の高いとされているものは、言葉が適切ではないかもしれないが、宗教観や死生観と言ったファンタジーが直接的により視覚に訴えかけているものが多い。そういった観点から装飾や技巧が凝らしているものが多く金を使っているものが多いのだろう。日本では中世以降からそう感じるものが多い。キリスト教でも、偶像崇拝を禁じる以前のものにも「金」を多用しているようだし(それ以後ももちろん使われているが)、素材として人々に与える影響力は、今の時代では考えられないぐらい大きなものだったのだろう。良くも悪くも現実的に感じる事ができる人間の普遍的な美への象徴的なもののひとつなのは間違いないようだ。
人間の歩んだ歴史から考えてみても金への興味は自然発生的に沸き起こるものなのかもしれない。古より世界中の人々が求めた「金」は時代が大きく変わっても日々必要としているコンピューターなどの現代の必需品とされるものに不可決なレアメタルとしてますます必要性が高まっているわけだし時代が変っても人々を魅了する特別なものであるのは間違いないようだ。
2011/12/15