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脱メインストリーム

脱メインストリーム誰からも支持されいし、好かれたいと思うのはみんなが思うことだろう。僕も例外なく、そういう気持ちは強いほうだと認識している。でなければ、このようにウェブサイトで商品を売ったり、自分の考えを書いたりなんかしないだろう。褒められたい、注目されたい、共感を得たいが為の行動はある意味、何かをする上でパワーになるのは確かなことだ。

しかし、ここ最近、あまりそういう意識が働かななくなってきたような気がする。というか、意識的にしないようにしているのかもしれない。感の良い人間であれば、時代の流れ、トレンドはある程度予測できるし、感がなくても情報を集めれば、主流と呼ばれるもののおおよその見当がつくだろう。「センスが良いね」という言葉はある意味、素直に受け取れない。その言葉の裏には、人気のものをよく研究しているね、情報集めているねって言われているような気がする。そういうことを意味するのは他の影響が強いということを意味しているのかもしれない。今の時代、何か新しいことをしても過去に誰かがやっていたことになってしまったり、100%自ら何かを生み出すこと言うことは難しいこと。今のようなマルチカルチャリズムな世界(芸術界において多文化と言うことです。)だからこそ多少はオリジナルなスタイルを他の人に感じてもらいたいような気がする。

厳しい眼、鋭い審美眼をもつ人間は少ない。こんなに情報が得られるのに、情報のあまりの多さに自分の本質を見出せない人のほうがおそらく多いはずだ。自分の気持ちに正直に選んだものの多くはきっとすべての人には受け入れてもらえないのだろう。でもその一方で熱烈に支持してくれる人もいるわけで、みんなに支持されたいと思うものを選んでいくと何だか自分が消えてしまうような感覚に囚われてしまうはぼくだけだろうか・・・?賛否の否の意見が耳に入ってこないと面白くもない。少し前までは「否定」を受け取る心の準備がなかったが、ここ最近そうでもなくなってきている。そろそろ、みんなに好かれたいと思う気持ちから決別しようとかなあと思ったりしている。そうすれば、知らない間に僕に纏わりついた何から解放されるような気がしてならない。

 

2012/07/05

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