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嗜好の変化

嗜好の変化は誰にでもあることだろう。

十年近く古いものを扱ってきたが、はじめた当初から自分の選ぶものはあまり主張しないもの、周囲と馴染むようなものを好んで扱ってきた。実用的な美しさは、無理がなくて見ていて違和感がない。素朴なものもの、いわゆるシンプルなものは清くて何色にも染まる感じがする。古くても、新しくても時代を超えて共通性を感じる部分に魅力があるのだろう。今の衣食住に関係するさまざまなデザインをみてもそれを色濃く感じる。生活に密着しているからこそ生まれる形と言えばいいのか、ものの形は原初的な形に向かっているように感じている。民藝が再度注目される理由もそこにあるのかもしれない。生きる為の形とでもいうのだろうか、そこに向かっていくと時間とか、国籍とかが本当に関係なくなるような感覚に囚われれる。

金剛界八十一尊曼荼羅
重要文化財(金剛界八十一尊曼荼羅)13世紀 根津美術館蔵

そういう嗜好を持ちつつもここ最近、特にそれと反対にあるようなものに惹かれている。信仰のものや装飾性の強いもの、ごく限られた地域のものなど・・。デザイン性というよりも日本人の持つ死生観などや気持ちが露わになっているようなものだろうか?普段の生活から自然発生したような祈りの遺物、そこから生まれた形はまるで違うものだ。実用的な民窯の壷と発掘された神事に使われた壷とは明らかに佇まいが異なる。どちらも美しいが、その美しさはまったく別物と言っていいだろう。もともと興味はあったが、さらにそれが強まったのは昨年の震災からなのは間違いない。

自分自身、「死」を身近に感じたし、人間にはどうしようもできない自然の脅威や自分たちの為にやっていた行動によって自らを追い詰めるような結果を招き、多くの日本人にとっても死生観に大きな影響を与えたし、与え続けている。日本の宗教や芸術の華やかで隆盛だったころは、仏教美術などでは平安、鎌倉、芸術だと室町から桃山と言われているが、大きく変化した時代というのは大きな災害や情勢の不安があった背景をを考えると、きっと今もそういう時期なのだろう。

僕の嗜好の変化は今後どのように変化していくのか、時代の流れに沿うのかどうかはわからないが素直に受け入れていきたい。

2012/07/12

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