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境界線

境界線境界線は人間が勝手に引いてしまうものなのかもしれない。

線を引くことによって陰と陽ができるし、天国や地獄も明確にされる。国境も線だし、自分のものと他人のものも線によって分けることができるわけで、人間の思考はこの境界線を作ることによって、ある意味バランスを保っていると言っていいのかもしれない。価値観や固有性といったものもこの線によって強くなるわけで、現代を生きる僕らはいつの間にかこの線なしでは安堵感を得られない生活をつくり出してしまった。

果たしていつからこの境界線は色々な世界にはっきりと現れたのであろうか?僕はきっと産業革命以降に世界的に現れたのではとは考えている。境界線と言葉にすると信仰的なものから生まれ日本では古くからある概念だったように感じるが古いものと接しているとそうは感じない。古くより多元宗教主義的な感覚を持ち合わせた日本人はもっと曖昧な社会に生きていたのではないだろうか。おそらく、共同体の意識が強く、独占欲といえばよいのか個人のものなんてものはあまり持っていないし、生きていくための地域住民の協力が日常的に必要不可欠だったにちがいない。また、その意識に大きな変化を与えたのは宗教の影響も強いのは確かである。古代日本において神や人は同じ世界に存在していたわけで、仏教の伝来であの世とこの世が現れ仏(神も含む)が違う世界のものとなったわけである。陰陽のタオイズムも仏教の伝来と共に日本に広まり、答えの理解しやすい洗練されたものだけに人々の意識に深く、深く広まったのであろう。しかし、八百万の神の世界にいた日本人は意識の中に明確に線を引かない曖昧なものを持っている。結界が良い例だ。陰と陽、天国と地獄、光と闇、金持ちと貧乏、美しさと醜さ、国境線などなどすべて人間が勝手な考えて作り出し、勝手に線を引いたのである。この境界線が良くも悪くも人間にとっての価値観に大きく作用しているが、日本人にはそれを外から見ることができる能力があるように感じる。しかし、その能力は少しずつ退化しているのも感じるのも確か・・・。

 

2013/01/31

vol.122 パラダイムシフト ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.124 アノニマス・デザイン