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終わり無き探求

ウィトゲンシュタイン僕は福島出身の奈良在住である。

以前は政治や宗教のことは商売もしていることだし、こういった場では個人的な考えや思いを書くべきではないと思っていたが、震災以降その考え方は少しずつ変化している。ここ最近の政治の動きは果たして日本の将来の為になるのだろうかと思うし、隣国との関係、東北の復興、原発の問題、経済の問題など今を生きる僕たちはたくさんの判断を託されているような気がする。

正直なところ自慢できる話ではないが、僕は成人して選挙権を得てから一度も投票したこともないし、その他もろもろと日本人として政治や社会に対して世間的に考えれば貢献していると言える立場ではないが、そんな僕でもこのままでいいのだろうかと自分自身に問うことが増えた。

東北の震災をきっかけに日本の状況は大きく変わってきたことは感じている。隣国の動きで経済や国の今までのパワーバランスが崩れているのがわかるし、今までの価値観にすがろうとする人と新しい価値観を求める人との違いも目に見えて表れている。復興に使われているお金も復興バブルで夜の繁華街が繁盛していることなんかを聞くと少し違和感を感じたりする。原発賛成と原発反対の政党が一緒になる意味もまだ頭が子供なのか理解できない。放射能の汚染も、その話題に触れないような雰囲気も果たしていいのだろうかと感じたりもする。関西に住んでいると特に遠い場所で起こっていることのようで接点が無い人であればその危機感は日に日に薄れていることだろう。国も報道も面倒なことはとりあえず、後回し。真実がどこに存在しているかも不確かなで実感を感じない悶々とした日が続いている。たまに福島に帰ると何も無かったかのように学生たちは放課後の校庭を走っているし、公園で子供たちが遊んでいるのを目にするとなんとも哀しい気持ちになる。後ろ向きに考えずに前を向いて歩かなければいけないのは確かにそうだけどその状況はどう考えたって前に向いたからって解決するわけではない。

福島を見ていると物質的な豊かさの価値を問い直してしまう。それを骨董、古美術に照らしあわすと必要なもの、必要じゃないものを整理でき、自分が探求するべきもののイメージがおぼろげながら浮かんでくるような気がするけど明確なものはいつまでたってもみつからない。この終わり無き探求を僕はきっと続けていくのだろう。

 

2012/11/8

vol.111 奈良に住む。 ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.113 魂の純度