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室生寺

室生寺

石楠花や女人高野山(真言密教に変わった江戸時代に入ってからの話)で名高い奈良の古刹「室生寺」であるが、なんといっても魅力は初期の密教美術だと僕は思っている。そして奥深い山の中に泥臭く、かといって素朴すぎない侘びた山岳伽藍は周囲の木々と溶け込み同化している。奈良の中心部から遠く離れた山中は当時は秘境だったに間違いない。今でもかなりの山の中であるのは間違いなく、そんな奥深い山中に突如現れる、やや小さいながらも奈良の中心部の有力寺院に引けをとらない風格、もちろん建築の技術、質の高い仏像達は今観ても驚かされるので当時も観る人に衝撃を与えたに違いないだろう。そして、現代に生きる僕らはこの寺院を訪れた時に奈良時代、平安時代そのままに近い日本の風景を感じれる数少ない場所であることきっと確信することであろう。きっと土門拳が足繁く訪れたのもその理由からだろう。

僕は最近自然との調和こそがこれからの未来への何らかの手がかりだと思っている。住環境はもちろん、第一次産業、交通、芸術、科学、思想、宗教全てにおいて、自然と人間の共存こそが大事であって、利便性を求めた生活や消費社会は人類、地球の寿命を短くしているのは明らかで次世代へ何を繋いでいくかを真剣に考える時が来ていると感じている。

国宝や重文の指定を受けた仏像たちが並ぶ須弥壇上は、まるで中世そのままの如く、金堂や仏像の経年変化が時代の経過を感じさせてくれるわけで、当時の寺院建築の完成度の高さもさることながら、周囲の環境との調和をみるかぎり、現代の自然環境への尊敬の念は足元にも全く及ばないと感じるのである。

初期の密教美術(建築を含める)には神道の影響を非常に強く感じる。特に山岳寺院はその要素が抜きん出ている(当たり前のことですが・・。)。開祖がいない、日本の風土や慣習によってうまれた神観念があるからこそ、周囲に溶け込む室生寺のような寺院が生まれたのだろう。

日本古来の信仰は、開祖がいなく経典もはっきりしていないため外来の宗教ともうまく共存している。日本人の宗教観が根底にあるからこそ室生寺には自然へのリスペクトが強く感じられるのかもしれない。

 

2013/07/11

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