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民藝運動の行方

現在の古いものに対する評価の基準は民藝運動にあるといっても過言ではない。

中国の鑑賞美術が評価の高かった当時、柳宗悦がイギリスのスリップウェアーに興味を抱きそして庶民の日用品に目を向けていったのは皆さんがご存知の通り。古いものを含めた工芸品に対して新たな価値を見出した当時の柳宗悦の思想はかなり革新的であったと思う。

長い歳月によって、彼の美の価値観は日本人の美意識を形作ってきた。しかし、20世紀の中頃から、多くのものが大量生産できるようになり、高額で一般庶民が持つ事さえ出来なかったものたちが気軽に買える時代になった現在はその流れも新たな局面を迎えようとしているのではないだろうかと感じている。

柳宗悦の世界既製品なのに工芸品の名残を感じるものや、工芸品なのに既製品のように感じるもの、新しいのに懐かしい感じのものなど最近の売られている店頭に並ぶ商品をみていると新旧、製造方法、材質を問わず、すべてが一直線上に並んでいる。もちろん価格も関係ない。すべてが同じ土俵に上がっている感じがする。

芸術全般は戦前まではある種の特権階級のものだった。アートに置いてはポップアートの誕生で普段の生活で見る商業的デザインが芸術のレベルまで達し大衆文化があっという間に、今まで数百年築き上げたごく一部の人々の趣味によって価値が定められたものと同等に扱われるようになり今となってはそれを抜き去ってしまったように感じている。

骨董、古民藝、古美術品と呼ばれるものも戦後から現在に至るまででその価値観は様変わりした。特に1990年代の後半から現在に至るまでバブルの崩壊や世界経済の不況など、急激な変化の要因は多種多様にわたり今尚流動的。

毎日のように色々な情報が溢れ出し、それを整理し自分の中で消化する間もなく過ぎていく日々。当時ゆっくりと流れる時間での民藝に対する価値観は既に今の生活のスピードに合わせることが困難になっている状況、今、多くの新しく輩出された民藝と称しているものだって柳宗悦のそれとは違うもののように感じる(見た目ではなく精神性、根幹が違うような気がする)。エビゴーネンですらないものも多い(自分自身も含めて)。

柳宗悦の生きた時代のように大きな流れを多くの人たちに導くような思想は新たに出にくい時代と思う一方、すべてのものがものすごいスピードで変化をしつつも自分が気付かないうちにゆっくりと同じ方向にシフトしているのでは?思うこともある(シフト先は影すら見えないけど・・)。これからどんな風に人々の美に対する価値観は変わっていくのだろう。民藝運動に対するリスペクトは消えないと思うけど、縛られ過ぎてもいけないかも・・・。

 

2011/07/28

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