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行基

奈良に住み、色々な古いものに接することでそれらとと向き合うことは、実はそれに携わった人たちと時間を越え会話することではないか感じることがある。自分の中で想像することであるから、どのように思うか、歴史や資料とは違う印象をもっても良いと思う。感じ方は人それぞれで、自分はどう感じたか、どう思ったか、それらを介して、正直な思い、素の自分を見つめることが大切なような気がする。最近、知り合った友人と話していると「行基」という奈良時代の高僧の名がたびたび登場する。東大寺の大仏建立の際の中心人物だったことは知られているが、それ以外は正直良く知らなかった。調べてみると実に魅力的な僧であったことが少しずつわかってきた。

どんな人物だったか簡単に説明すれば・・・・・・・・668年に生まれ、百済系渡来人の子孫であり、百済王家の子孫とも言われている。布教を禁じた時代、民衆のために仏法を説き、布教以外にも様々な社会事業(溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を、困窮者のための布施屋9ヶ所等の設立など)を行い、度々朝廷から弾圧されるも民衆の圧倒的な支持を背景に後に大僧正として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺ほか)建立の(実質上の)責任者として招聘された。・・・・・・・・(ウィキペディア参照)

また、日本で最初に地図を作成した人物とも言われている(行基図)。

行基なんともパワフルな人物である。大仏建立に際しては朝廷側に付いたとか、民衆の影響力を朝廷が利用したとか紆余曲折言われているが、日本のみならず世界の多くの人を魅了する東大寺の大仏を観れば彼がいかに魅力的で特別な才能をもっていた人物だったことは一目瞭然。大仏のインパクトは新旧問わず色々なものの日本の中でもトップクラスだと思う。当時の携わった人達のパワーを1000年以上の時を越えて誰もが感じれる場所ってそうはない。土木から仏教美術まで枠に収まらない活動をし、本業はお坊さんという行基の生き方は、色々な倫理観から成り立つ社会に生き、それを正しいと錯覚して無難に現代を生きている僕らに何らか問題を提起してくれている。

画像は僕の住まいの近くの喜光寺「菅原寺」の石仏群。行基が721年に創建し、終焉した寺と言われている。全国にも行基ゆかりの地は数多くある。

 

2011/02/24

vol.22 BAUHAUS   ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.24 フルクサスのもたらしたもの