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百回目を迎えて

百万塔週に一回のペースでその時に感じたことを書いてきた。しかも百回休まず書いたことは自分ながら良く続いた。といっても骨董、古美術、アートシーンを問わず好き勝手に書いている私的な文章なわけで読んでくれている人もそうは多くはないだろう。また、私的といいつつもアクセスすれば誰でも読めるというウェブサイトに公開しており公私混同しているなんとも微妙な環境で書いているので100%本心でもない。そのときに思ったことや気になったこと思い出したことなどを書いているわけで自分にとってのちょっとかっこつけたメモみたいなものに近い。なわけで古美術とストリートのアートを無理矢理に共通点を見出そうとしたりすることなどもやっていて今読むと違和感を感じる文もあるし、意外と的を得ているかもと自画自賛しちゃうもの、その時読んでいた本にかなり影響されているものなど、自分自身の思考のパターンも見えてきて意外と単純だなあと改めて思ったりもする。

基本古いものに関してサブもメインもカウンターカルチャーもメインストリームも下手も上手も本筋も横一線というのが僕の現状の考え方で、、それが強みでもあり弱みでもあると感じている。骨董業界で長くやっていくほど、なんでも横一線というのは、もろ刃の剣で、物の価値を考えた点では実に曖昧なもので厄介なことに薄々感じはじめていたりもする。その時、その一瞬で気になるものを追いかけたりもするので統一性があるようで無かったりもする。最近はそういった自分の矛盾する点に深く反省し、結局は自由なフィーリングを求めていながら枠からはみ出せていなく自由のふりをしているだけかもしれないなあと思ったりもしている。

自由は大変気持ちが良いが、自由でいることは実に難しい。知識や技術、道理を理解していなければただの勝手なことしているだけ。自分も含め、今は勝手なことをして自由と履き違えていることをしている人が多いような気がする。かっこつけている人も多分この類に入るのだろうと思う。ほんとうの自由を理解していないから、奥行きや引き出しがなく途中で息切れしてしまうのかもしれない。それに加えてすべて理解していると勘違いしている大人も実に多くいろんなところにいる(僕も大人のかな)ので余計困惑したりもする。理解していますと信じきっているほど人ほど関係をもつと実に厄介である。

迷ったり、何かを始めようとする時、こういったことを書いていると将来、参考になったり、過去の自分からのアドバイスは他人より説得力があったりもする。続けて書くことも案外悪くはないようだ。

*良く同業の方から読んでいると言われます。大変嬉しい事です。が、商売にはまったく関わりの無いことが多く、適当にさほど下調べも無くだらだらと書いておりますので、何卒、真に受け止めず、何かの参考に!などとは間違っても思わないでください!

 

2012/08/16

vol.99 白の話  ≪ 三坂堂通信 ≫ vol.101 棟方志功